権力と圧制なしに、会社にも家庭にも「平等」はないという矛盾と絶望

資本主義が倒れても「家父長制」は生き残る
ヤニス・バルファキス プロフィール

権力がルールを作り出す。その逆じゃない

自分は苦い経験を通してそう学んだのだ、とアイリスが漏らした。1970年代、アイリスは若い大学講師として「象牙の塔」に入った。男性の同僚は、アイリスが議事録を取り、紅茶を淹れて当然だという態度を示した。法に規定されていたわけじゃない。もっとひどい。雑用はどうせ若い女性の仕事だという、休憩室に漂っていたあの無言の圧力は、世間に漂う家父長制となんら変わりなかった。

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権力のネットワークをつくるのは法と明文化されたルールだという考えは、よくある勘違いにほかならない。いいえ、権力のネットワークが先よ。まずはそのネットワークが自然に出現し、そのあとで行動規範や規則ができ、最後に法のかたちに結晶する。ヒエラルキーを法制化する慣例を葬ったところで、ヒエラルキー構造にとどめを刺せるわけじゃない。宗教組織を脱退したところで、迷信を排除できないのと同じことだ。コスティの企業で誰もが公的な自主管理を享受していることは、アイリスも疑ってはいなかった。「だけど、見えないところで自主管理を強いられてる人はきっといる」

アイリスの異議は、フラット組織に対する疑念にとどまらなかった。男性優位の権力ネットワークを身をもって経験したアイリスは、人間の性はヒエラルキーの空白を嫌い、その空白を埋めるために、目に見えない、微妙なかたちの圧制と支配の方法を無数に見つけ出す、という信念の持ち主だった。それはつまるところ、平等主義を掲げる学校の校庭で、いじめっ子が小さな病んだ帝国を築くことだ。ヒエラルキーは弱者を虐げる時でも、弱者を保護する。埋め合わせというわけである。

多くの同僚が民主的な機構を乗っ取るさまを、アイリスは嫌というほど目にしてきた。労働組合やタウンホール・ミーティング(社内対話集会)のこともあれば、協同組合や近所の活動グループのこともあった。だからこそ、骨の髄までサンディカリストのアイリスは、ブライトンの小さな自分だけの世界に引きこもったのだ。そしてまさしくその同じ理由によって、コスティの言う上司のいない企業に対する疑念を本能的に拭えなかった。

「正式な圧制と正式じゃない圧制の、どちらのヒエラルキーを選ぶのかと訊かれたら、私が選ぶのは正式な圧制のほう。同僚どうしのなかの隠れた強制じゃなくて」