芸大受験マンガ『ブルーピリオド』を男性性から読み解く

「少年」というマジョリティのゆくえ
阿部 幸大 プロフィール

「弱さ」でわかりあうということ

『ブルーピリオド』はジェンダーにきわめて意識的なマンガである。

黒髪センターパーツの世田介は女性の森先輩と見間違えられるし、腰までのロングを三編みのおさげにしている橋田の名前ははるかだし、不良仲間でヤクザに勧誘されるようなコワモテの「恋ちゃん」は八虎に触発されてパティシエを目指す。

 

これらのジェンダー規範にたいする撹乱性はすべて、少年に女性性を付与するというベクトルを持っている(女性キャラの「ふつう」さと比較されたい)。なかでもジェンダーの問題を前景化するのは、トランスジェンダーかつバイセクシュアルで、男女両性の制服を組み合わせて着ている「ユカちゃん」、鮎川龍二である。

空気を読みすぎることで虚無感を抱いている八虎と、「世間が良いっていうものにならなきゃいけないなら/俺は死ぬ」と宣言する龍二。彼らもまた鋭いコントラストをなす2人の少年だ。しかもは相搏つ運命にある……。

だがもちろん龍二とて自由なわけではない。彼はじつは祖母への義理から日本画を専攻しているにすぎず、服飾への興味を封殺して生きているのだ。かくして、龍二にとっての日本画とファッションの関係は、八虎にとっての「将来性」と美術の関係とパラレルであることが、徐々に見えてくる。

美大進学を放棄した龍二は、一人称を「俺」から「アタシ」に変更する。その異変に気づいた八虎は、二次試験直前の大事な時期に龍二と小田原の海に小旅行するのだが、そこで龍二は八虎に、セルフヌードを描くよう促す。いわく、「優等生の服は厚くて重そうだしね」。

だが、八虎が「じゃあお前も描けよ」と要求するとき、龍二の言葉は自分に跳ね返ることになる。まさしく彼はいま、日本画を捨てた自分に「アタシ」という「服」を着せているのだから。かつて美術部に自分を導いた龍二に、八虎は、ともに脱衣することで報いる。

この龍虎図において、両雄は相まみえることなく、背中合わせで自分に向き合っている。彼らは強さを競うことによってではなく、自分の裸体に対面しつつ、むしろ弱さを互いに曝けだすことによって、思いがけないコミュニケーションに到達するのだ。龍と虎は理解しあうために、かならずしも拳を交える必要はない。

龍二にとって、これは男性の身体という現実を見つめる作業でもある。そこで彼は、「本当は俺/ずっと好きな女の子がいるんだ」「男だけが好きならわかりやすかったのにね……」と告白し、それにたいして八虎は、「最近一人称が「アタシ」だったのもわかりやすいからか?/でもそれって理解じゃなくてカテゴライズだよな」と指摘する。

祖母への罪悪感を糊塗するために「アタシ」という別人格を創出するとき、龍二は、日本画という過去を男性化し、服飾を女性化して峻別している。だから八虎の言葉は、いまバイセクシュアルな自分を認めたように、日本画の自分も、ファッションの自分も、ぜんぶ含めて「俺」のままでいいんじゃねーの、という肯定として龍二に響くのだ。

八虎は龍二に、「わかりにくい」少年として再出発する勇気を与える。この恩返しが、こんどは二次試験の八虎を救済することになるだろう。