芸大受験マンガ『ブルーピリオド』を男性性から読み解く

「少年」というマジョリティのゆくえ
阿部 幸大 プロフィール

サブキャラとしての自分を知る

つづいて、他の少年たちと八虎を比較してみよう。そこで浮上する問題は、男性学における重要トピックのひとつ、男たちの差異である。少年といっても色々な少年がいるわけだ。まずは八虎が予備校で出会う「天才」、高橋世田介よたすけである。

初対面の八虎をこう一蹴する彼には友人がおらず、絵のうまさだけで全実存を支えているような少年だ。芸大の学祭を一緒にまわったあと世田介が発する以下の暴言は、カーストの問題から2人のコントラストを浮き彫りにする。

俺 苦手なんだ 矢口さんのこと
なんでも持ってる人が美術こっちにくんなよ
美術じゃなくてもよかったクセに……!

このアンフェアな発言に八虎はまた泣いてしまうのだが、ここで、世間ではマイノリティだが美術ではマジョリティである世田介と、世間ではマジョリティだが美術ではマイノリティである八虎、という対比がはっきりあらわれる。

少年マンガの主人公は通常、マンガのテーマと幸福な必然性で結びついている。この意味では世田介こそが主人公にふさわしい。カースト上位だった八虎は、「世界」という漢字を分割した世田介という名をもつ天才が君臨する美術あっちの世界において、はじめてサブキャラとしての自分に出会うのだ。

上の引用では、天才=必然 VS 凡才=偶然、という対立図式も見えている。この少年たちの衝突は、八虎の視点から、凡人の選択に必然性などない、ということも教えてくれるだろう。この点で八虎の弱みと悩みは、一挙に共感の幅を広げることになる。

世田介の「美術じゃなくてもよかったクセに」は正しい。だが必然性に出逢える「強い」人間など、どれほどいるだろう? 凡人は疑問を抱きながらも、偶然の連続を生きている。そこから脱却するには、ひとつの偶然を選びとり、それを必然に変えるべく努力するしかないのだ。読者は、偶然性に賭ける八虎の勇気にうたれる。

 

周囲が不気味がるほどの八虎のストイックさも、この視点から見ればたんなるマチズモではないとわかるだろう。のちに彼は自分の努力について「やってないと怖いだけ」と言うが、彼の強迫的な努力は、偶然性の危うさから身を守るための唯一の手段なのである。

それを聞いた龍二が「意外と人間なんだな/八虎も……」と言うように、彼は美術との、そして美術を介して出会った仲間たちとの関わりをつうじて、徐々に「人間」になってゆく。ただの人間? そう、そんなあたりまえの事実から、少年はずっと疎外されていたのだった。