多くの人が「親問題」に悩んでいた

一番最初に取材をしたのが、17歳で卵巣癌になった経験のある画家のKさんだ。同じ表現者ということもあり、取材冒頭から話が合ったが、とくに2人が意気投合したのがそれぞれの親の話だった。

幡野さんは幼少の頃から親に褒められた記憶がなく、勉強やそれ以外のことでも怒られたり、否定されたりすることが多かった。18歳のときに父親をがんで亡くし、母親とは、大人になってからも「仲が悪いわけではないけど、取り立ててよくもない」関係性。1人でも子連れでも、年に数回は実家に帰る機会をつくっていたそうだ。

多発性骨髄腫の確定診断を受けた2時間後、幡野さんは病院内のカフェで待ち合わせした母に、自らの病名を告げた。すると、母は怒りの感情をあらわにし、席を立って帰ってしまったのだという。どうして彼女は怒ってしまったのだろうか。

「母は、ぼくの体の中に何かしらのがんがあることがわかり、病理検査をして確定診断が出るまでの1ヵ月間、毎日父の墓参りをしていたんですよ。『がんが治るように』『助けてあげてください』と祈っていたそうです。この話を聞いた時は、正直迷惑だと思いました。祈ったからといって病気がよくなるわけではないし、余計なプレッシャーがかかるだけなので。まあ、だからこそ、正式にがんが判明し、母は『裏切られた』という感覚だったんでしょう。やり場のない怒りを僕にぶつけてきたんです。

これはお医者さんも言っていたことなんですけど、わが子が病気になって『助からない』と言われたら、医療者に攻撃的になる親は普通にいるそうです。わが子のことですから、悲しいのはわかります。でも、医療者を責めるのは違う。必要なのは、わが子へのケアでしょう。きっと、自分が悲劇の主人公のようになって、攻撃してしまうのでしょうけど、肝心の患者側に話を聞くと、『勘弁してほしい』という人も少なくありません。だって、がんになった人間はなにより『家族に迷惑をかけたくない』と思うんですから」

2歳のときの幡野さんの写真。2歳になった息子の優くんにみせると、この写真にうつっている幡野さんを自分だと勘違いしていたという 『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』より (C)Hiroshi Hatano

健康な時はゆとりもあり、何とか親子の関係性を保てていても、病気になるとお互いに心の余裕もなくなる。「親の本性が如実に出るのが子どもの病気のとき」と幡野さんは言う。

「母に怒りをぶつけられた時は、さすがに僕も心が折れました。冷静さを保てなかったのは理解できますが、自分がああいう行動に出ることで、妻や僕にどれだけストレスがかかるのか、何もわかっていない。いちばん苦しいときに、追い打ちをかけているようなものですから。人によっては絶望して自殺しかねないと思いますし、我ながらよく気持ちを保てたと思います」

カフェでの一件以来、幡野さんは一度も母親に会っておらず、新しい電話番号も教えていない。