父の闘病中、1年間の留学という決断

父は私が23歳の時に亡くなった。

昨日できたことが今日できなくない、という現実をたくさん見た。母は働きながら、父の介護をした。後半のほとんどの時間を良い施設にお世話になり、そこで生涯を閉じた。

岩手山。父が亡くなってからは父のような存在の山です。写真提供/福田萌
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どんな時も家族は前向きだった。

父が若年性アルツハイマーだと判明した1年後、父自身も自分の病気の進行を自覚していた時に、私を1年の留学に送り出してくれた。

もしかしたら留学から帰ってきた時には娘の私のことを忘れてしまっているかもしれない。そんな状況でも父は「行って来い」と送り出してくれたのだ。母も「家族みんな後ろ向きになってはいけない。萌ちゃんは家族に明るい光を見せて欲しい」と言ってくれたのだ。

とても勇敢な父と母だなと思った。

留学に行きたいと思ったのは、今振り返ると半分家族の現実から逃げたい、という気持ちがあったのだと思う。そんな私のずるい気持ちを知ってか知らずか、両親があのとき留学させてくれたことを今でも感謝している。