2022.06.22
# ライフ

「あなたの幸せは“微分”派か、“積分”派か」ビジネスにも役立つ“幸せ”の考え方

絶対悲観主義(4)
みなさん、がんばりすぎていませんか?
そんなに心配することはありません。なぜなら、こと仕事で自分の思い通りになることは、ほとんどないから。

この身も蓋もない「真実」を直視して、成功の呪縛からもっと自由になろう。そうすれば目の前の仕事に対し、もっと気楽に、淡々とやり続けることができる。
著者が実践してきた「GRIT無用、レジリエンス不要」の仕事の哲学『絶対悲観主義』から注目の章を特別公開!

微分派と積分派

私見では、人は幸福に対する構えで微分派と積分派に分かれます。この分類は、その人が幸せを認識するメカニズムの違いに注目しています。例えば昇進したとか、自分の評価が上がったとか、直前と現在の変化の大きさに幸せを感じるタイプが微分派です。一方の積分派は、その時点での変化率よりも、これまでに経験した大小の幸せを過去から累積した総量に幸せを感じます。これは優劣の問題ではなくて、人間のタイプの違いなのですが、幸福の意味するところは微分派と積分派でわりと異なります。

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僕は完全に積分派です。本を作るときでも、ベストセラーよりできればロングセラーになってほしい。「一気にベストセラーチャート入り!」とかではなく、じわじわ読者が広がっていくほうがイイ。「すこし愛して、ながく愛して」が理想です。もちろん、そんなにうまくいくことは滅多にないのですが。

かつての心理学は疎外などの人間のネガティブな心理状態の解決を目的としていました。しかし世の中がそれなりに豊かになってくると、より積極的に「人間が幸せであるとはどういうことなのか」を解明しようとするジャンルが現れた。ポジティブ・サイコロジーです。その分野の研究の中で、僕がなるほどと思った知見があります。ある「イベント」で一時的に幸福感が急増しても、人間はすぐに飽きてしまうので、幸福の源泉としては持続しないということです。微分派にとっての幸せは、そのときはガツンと来ます。昇給や昇進はその典型です。そのときは大いに高揚しても、その給与水準や職位にはすぐに慣れてしまいます。しかもより重要な事実として、ガツンと来るイベントは毎日起こりません。

 

僕はパーティー嫌いですが、例外的に電通の年賀会には万難を排して駆けつけるようにしています。なぜかというと、立食形式で出てくるご馳走が異様に充実しているからであります。ありとあらゆるご馳走が並び、スキなものをスキなだけ食べられる。子どもの頃に見た夢が現実になったような時空間ですが、これにしても年に1回だから楽しいのであって(2回でもイイ)、毎日だったら全然嬉しくないでしょう。しかも、イベントを経験するたびに、次はもっと大きな刺激でないと幸福中枢に効かなくなります。キリがなくなってしまいます。微分的な幸せの追求には限界があり、積分した総量にこそ幸せがあると僕が思うゆえんです。

積分派の幸福は記憶にあります。例えば子育て。やっている最中は大変でも、20年経って振り返ってみると、いくつもの幸せな記憶が積み重なっています。旅行もそうです。その最中も楽しいのですが、ふとしたきっかけに旅行をしていたときのちょっとした出来事を思い出し、何とも言えない幸福感に包まれることがあります。

僕の所属するバンド、Bluedogsのライブでの実演はあからさまな幸福です。聴いてくださっている方々は別としても、こっちはもう始まったその瞬間から痺れている。しかし、です。これにしても、演奏の真っ最中で感じる幸福よりも、振り返ったときに「ああ、あのときは確かに痺れたな」という記憶が残っていることが幸福としてずっと大きい。記憶こそ人間の最大の資産だというのが僕の考えです。

中学生の頃から日記をつけるというルーティンを続けています。5年10年どころか40年前の自分とも対話ができる。これが日記のイイところです。例えば、15歳の今日は何をやっていたのか。当時の日記をめくってみると、ベッドに寝転がって、おかきを食べながら、石原慎太郎の青春小説『人魚と野郎』を読んでいます。今とまったく変わっていない。読んでいる本が山根貞夫『東映任俠映画120本斬り』(ちくま新書)に、食べているものが柿ピーに変わっているぐらいです。

「今とまるで同じじゃないの……」と、驚きをもってつぶやくと、15歳の自分が「お前、初老になってもほんとに変わってねえな……」と投げ返してくる。過去の自分と対話をしていると、自然にその頃のちょっとした幸せな出来事の記憶がよみがえります。当時の日記には、もちろんイヤなことについての文句もそれなりに書き連ねてあります。不思議なことにネガティブなことはすっかり忘れてしまっていて、具体的なことまで思い出せません。イヤなことは記憶に定着しないように人間の脳ができているのかもしれません。幸福の正体が記憶資産にあるとすれば、習慣的に日記をつけるのは幸福になるための優れた方法のひとつだと思います。

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