アジア人を使ってアジア人を征服。ロシアの残忍さはシベリアでも発揮された

日本の国土防衛のために知るべきこと
ロシアが北海道周辺で気になる動きを見せている。もともとロシアの領土への野心はアジアにも向かっていた。シベリアを侵略し、清王朝の弱みにつけこんでハバロフスクとウラジオストクを建設した。それは同時にアジア文明の消滅でもあった。アジア人はなぜそれを防げなかったのだろうか。民族・宗教・文明に着目して世界史を研究する宇山卓栄氏の新刊『民族と文明で読み解く大アジア史』(講談社+α新書)からご紹介する。今後の日本の国土防衛を考える上で欠かせない知見が満載だ。

アジアはなぜロシアを撃退できなかったか

ロシアの港湾都市ウラジオストクは東京から2時間の飛行時間で行くことができ、「日本から一番近いヨーロッパ」と言われます。コロナ問題やウクライナ問題が発生する以前は、日本人旅行者にとっても人気の観光地になっていました。

ウラジオストクは1860年以降、ロシア帝国によって建設されました。それ以前は何もない荒れ地でした。中国は13世紀頃、この地に街を建設し「永明城」と名付けていたと主張していますが、その実態は不明です。ウラジオストクの現在の人口は約60万です。

ウラジオストク Photo by GettyImages
 

ウラジオストクの「ウラジ(ヴラジ)」はロシア語で「支配」を意味し、「ヴォストーク」は「東」を意味します。つまり、「ウラジオストク」とは「東を支配する拠点」という意味になります。ヨーロッパ白人勢力が到達したアジアの最深域としてのウラジオストクを拠点に、ロシアはさらに1875年の樺太・千島交換条約で、樺太を領有します。1945年には日本の敗戦とともに国後・択捉・歯舞・色丹の4島を占領して今日に至ります。

彼らはどのようにして、遠く離れた極東アジアにまで進出したのでしょうか。また、アジア勢力はどうして彼らを撃退することができず、このようにアジア深域への進出を許す結果となってしまったのでしょうか。

15~16世紀、大航海時代がはじまり、ヨーロッパ勢力がアジアに本格的に進出しはじめます。大西洋から喜望峰を経てインド洋へと至るルートの他に、北極海を経てアジアに至る北東航路が開拓されます。16世紀後半にはイギリス船やオランダ船がバレンツ海沿岸に頻繁に現れるようになります。

イギリスやオランダがバレンツ海からシベリアに進出するようなことがあれば、ロシアにとっては大きな脅威となります。ロシアは地政学上、シベリアを意識せざるを得ませんでした。

関連記事