誰が頼朝を殺そうとしたのか?曾我事件の黒幕候補を徹底考察

歴史家が見る『鎌倉殿の13人』第22・23話
曾我兄弟の仇討ちには黒幕が存在した....!?
『頼朝と義時』(講談社現代新書)の著者で、日本中世史が専門の歴史学者・呉座勇一氏が、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送内容をレビューする本企画。今回は、先週放送の第22話「義時の生きる道」、昨日放送の第23話「狩りと獲物」について、専門家の視点から見たみどころを解説してもらいました。

『鎌倉殿の13人』の第22話では源頼朝の対朝廷交渉、第23話では曾我事件が描かれた。頼朝と御家人との間に隙間風が吹く中、北条義時は頼朝側近として着実に地歩を築いていく。歴史学の観点から第22・23話のポイントを解説する。

源頼朝と後白河法皇の対面

奥州合戦の翌年の建久元年(1190)11月7日、源頼朝はついに上洛した。内乱中から頼朝の上洛はしばしば取り沙汰されたが、奥州藤原氏の脅威があるため実現しなかった。1000騎を率いる頼朝の入京はきらびやかなパレードの様相を呈し、天下が平定され平和になったことを象徴するかのようだった。

頼朝は1ヶ月余りの在京中に、後白河法皇と8回の会談を行ったが(『吾妻鏡』)、その会談内容はほとんど分からない。唯一伝わっているのは、以前の連載記事(「歴史書を読み解くと見えてくる、上総広常が粛清された「本当の理由」」)で紹介した『愚管抄』に記された内容である。頼朝は後白河に対し、朝廷への忠義、後白河への忠誠を語り、その証拠として朝廷に反抗的な上総広常の粛清を挙げた。『愚管抄』の作者である慈円は、この話を伝え聞いて、頼朝は「朝家ノタカラ(宝)」であると絶賛している。

しかし、頼朝が後白河のご機嫌取りに徹したのには、腹黒い理由があった。11月9日、頼朝は摂関家の九条兼実と会談した。頼朝は兼実に次のようなことを語ったという。現在は後白河法皇が天下の政務を行っておられるので、私も法皇に従っている、後鳥羽天皇は皇太子のように無力であるが、法皇がお亡くなりになれば天皇にお仕えするつもりである、と(『玉葉』建久元年十一月九日条)。

この時点で後白河法皇は64歳であり、当時としては相当の高齢と言える。院政を行っている後白河が崩御すれば、幼少の後鳥羽上皇に代わって摂関家の九条兼実が朝廷の実権を握るだろう。そうなれば、頼朝は兼実を通じて朝廷に影響力を行使できる。頼朝は、後白河の寿命が短いことを見越して、従順を装ったにすぎないのである。

頼朝の予想通り、建久3年3月13日に後白河法皇は66歳の波乱の生涯を閉じた(『玉葉』)。後鳥羽天皇はまだ13歳だったから、九条兼実が関白として政治を主導することになった。

関連記事