米国・ホワイトハウスが警戒する量子コンピュータの「脅威」
事実上破壊される暗号システムここ数年、IBMやグーグル、マイクロソフトなど巨大IT企業(ビッグテック)は、近い将来ライバルを出し抜くための切り札として血眼でその開発を進めている。
もしも本格的な量子コンピュータが実現されれば、それは「自動車」「金融」「化学」「製薬」「物流」など主要な産業領域から、「AI(人工知能)」や「メタバース」など前途有望なハイテク分野に至るまで「21世紀の産業革命」を巻き起こすと見られている。
このため米国やEU、日本のような西側先進国・地域、さらにはこれと対峙する中国やロシアなどの陣営がいま、「経済安全保障」や「軍事技術」の最優先事項として、量子コンピュータの研究開発に巨額の予算を投じている——。
6月15日(水)に発売となる『ゼロからわかる量子コンピュータ』の著者・小林雅一氏による論考。
現代社会の暗号システムを破壊する危険性
量子コンピュータは有望視されている一方、使い方次第で悪事にも用いられてしまう両刃の剣でもある。特に懸念されているのが、現代社会の重要なインフラの一つである暗号システムを量子コンピュータが事実上破壊してしまうことだ。
現在、社会で最も広く使われている暗号技術は「RSA」と呼ばれる方式だ。このRSA暗号は事実上の世界標準として、各種ICカードや金融機関のATM、あるいはインターネット・ショッピングをはじめ様々な場面で使われている。私たちの便利な日常生活やビジネスを陰で支えているのが、こうした暗号技術であると言っても過言ではない。
RSA暗号は一般に「公開鍵暗号」と呼ばれる方式の一種だが、この種の暗号技術は軍事・諜報活動など国家安全保障でも重要な役割を果たしている。さらに最近では、ビットコインのような暗号通貨の安全性を確保する「電子署名」にも使われている。つまり身近な暮らしから非日常的な世界に至るまで、暗号は極めて広範囲に渡るインパクトの大きな技術であると言える。
このようなRSA暗号は「大規模な素因数分解」という強固な計算複雑性理論によって、その安全性が担保されており、たとえ現在トップクラスのスパコンを使っても、ハッカーなど第三者が破る(解読する)のに数万年以上かかると見られている。つまり事実上、既存のコンピュータでは破ることのできない暗号である。
しかし本格的な量子コンピュータ(前稿で紹介した汎用・誤り耐性量子コンピュータなど)を使えばRSA暗号を比較的容易に破れることが、1994年に米国の数学者・計算機科学者のピーター・ショアによって証明された。
ただ当時、量子コンピュータはこの世界に影も形もなく、あくまで遠い未来に出現するかもしれない理論的な可能性に止まっていた。従って、RSA暗号が本当に破られてしまうと心配する専門家はほぼ皆無だった。