総勢28万騎!?必要以上の大軍を率いて源頼朝が奥州合戦に挑んだ理由とは?

歴史家が見る『鎌倉殿の13人』第20・21話

『頼朝と義時』(講談社現代新書)の著者で、日本中世史が専門の歴史学者・呉座勇一氏が、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送内容をレビューする本企画。今回は、先週放送の第20話「帰ってきた義経」、昨日放送の第21話「仏の眼差し」について、さまざまな史料を参照しつつ、平泉に落ち延びた源義経の悲劇的な最期や、その後の奥州合戦の一連の流れを詳しく解説します。

『鎌倉殿の13人』の第20話では源義経の死、第21話では奥州藤原氏の滅亡が描かれた。義兄であり主君である源頼朝に感化され、北条義時は悩みながらも次第に手段を選ばぬ冷徹な男へと変貌していく。歴史学の観点から第20・21話のポイントを解説する。

 

静御前と北条政子

鎌倉方の徹底的な捜索により、源義経の郎党たちは次々と捕らえられ、討ち取られていった。『鎌倉殿の13人』でも描かれたように、義経の愛妾で白拍子の静御前も捕らえられ、母の磯禅師(いそのぜんじ)と共に鎌倉に送られた。文治2年(1186)4月8日、静は鶴岡八幡宮の回廊で舞を披露している。工藤祐経が鼓を、畠山重忠が銅拍子を担当した。静は以下の歌を吟じている。

よし野山 みねのしら雪 ふみ分て いりにし人の 跡ぞこひしき

これは『古今和歌集』収録の歌を踏まえたもので、吉野の山を踏み分けて山奥に入ってしまった義経を慕う歌である。そして別物曲の後に以下の歌を吟じた。

しづやしづ しづのをたまき くり返し 昔を今に なすよしもかな

これまた義経と幸せに暮らしていた昔が恋しいと歌っている。

静の芸に見る者はみな感動したが、源頼朝だけは、「鎌倉の繁栄を祝すべきところを反逆者の義経を慕うとは何事だ」と激怒した。しかし北条政子は「あなたが石橋山の戦場に出られた時、私は一人伊豆山に残り、あなたの御無事も分からず、日夜、魂の消える思いでした。その不安は、今の静の心と変わりません。もし義経との多年のつきあいを忘れて恋慕しないのであれば、貞女とは言えないでしょう」とかばった。政子の言葉を聞いて頼朝は怒りを解いたという。

閏7月29日、静は出産した。だが男児だったため、頼朝は後難を恐れて由比ガ浜に捨てさせた。9月16日、静と母の磯禅師は帰京の途に着いた。政子と娘の大姫は静に同情して、多くの宝物を与えたという(『吾妻鏡』)。静の以後の消息は不明である。

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