2022.05.23

特攻を超える戦死率75%…その戦場を生き抜いた搭乗員は何を見たか

日本の敗戦を見通しながら戦い続けた

1942年6月のミッドウェー海戦での敗戦により、日米の形勢が逆転して以降、日本軍の拠点は次々と米軍に奪われていった。この猛攻をぎりぎりのところでくい止めていたのは、ソロモン諸島に展開する海軍航空部隊の搭乗員たちだった。

この劣勢を逆転するため、1943年6月16日に決行され、のちに「ルンガ航空戦」と名付けられた総攻撃では、手痛い敗北を喫し、多くの腕のいいベテランパイロットを失う。

この一連の戦いを担った部隊は、のちに編成された特攻専門部隊よりはるかに多くの搭乗員が犠牲となった。彼らはそのなかで、何を見て、どう戦っていたのか?

<【前編】【太平洋戦争】劣勢を逆転するための総攻撃で、27歳の零戦隊長が提案した「まさかの作戦」>に引き続き、「ルンガ航空戦」の激戦について語る。

 

ついに出撃し…

午前10時、ブイン基地出撃。

五八二空庶務主任だった守屋清さん(当時主計中尉)は、大作戦に興奮を抑えられず、早朝から愛用のカメラ・セミプリンス(藤本写真工業製の蛇腹式スプリングカメラ)を手に、ブインの飛行場に出ていた。

守屋さんが見ている前で、進藤少佐機が滑走路の中央に出た。進藤機は、両翼に長銃身の20ミリ機銃、二号銃三型を装備した新型の零戦二二型甲である。機番号は173、濃緑色の機体の後部胴体に描かれた、「く」の字二本の黄色い指揮官標識が鮮やかに印象に残った。

発進準備を完了、まさに出撃せんとする、五八二空飛行隊長・進藤三郎少佐の乗機。機体の黄帯2本は指揮官標識

進藤少佐は、風防を開けたまま、司令官以下の見送りに軽く敬礼すると、白いマフラーを風になびかせて轟然と離陸滑走にうつった。

「同じ航空隊でも、零戦の搭乗員は整備員や主計科とは明らかに違う別格の存在感をもっていて、主計中尉ごときが気安く話しかけることのできないような雰囲気があった。威張っていたわけではなく、ただ、近寄りがたい殺気をみなぎらせていたんです。飛行隊長の進藤少佐にいたっては、雲の上の存在でした。私は憧れのスターを仰ぎ見るような気持ちで、離陸滑走に入った進藤機にカメラを向け、シャッターを切りました」(守屋さん)

ブイン基地で離陸滑走に移った進藤少佐機。尾翼の機番号は173(撮影:守屋清さん)
ブイン基地、宮野善治郎大尉乗機、最後の離陸(撮影:守屋清さん)

進藤少佐直率の五八二空16機、宮野善治郎大尉率いる二〇四空24機、香下孝中尉率いる二五一空8機の零戦隊に続いて、各機250キロ爆弾1発と60キロ爆弾2発をかかえた江間保大尉率いる五八二空の九九艦爆24機も離陸。ブカ基地から飛来した大野竹好中尉が率いる二五一空の零戦22機とブイン上空で合同し、合計94機の大編隊は、ガダルカナル島を目指して南東方向に向かって飛んでいった。

ルンガ沖航空戦当日、ブカ基地に整列、発進する二五一空の零戦搭乗員たち。前で敬礼しているのが指揮官・大野竹好中尉
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