2022.05.23

【太平洋戦争】劣勢を逆転するための総攻撃で、27歳の零戦隊長が提案した「まさかの作戦」

1942年6月のミッドウェー海戦での敗戦により、日米の形勢が逆転して以降、日本軍の拠点は次々と米軍に奪われていった。この猛攻をぎりぎりのところでくい止めていたのは、ソロモン諸島に展開する海軍航空部隊の搭乗員たちだった。

この劣勢を逆転するため、1943年6月16日に決行され、のちに「ルンガ航空戦」と名付けられた総攻撃では、手痛い敗北を喫し、多くの腕のいいベテランパイロットを失う。

この一連の戦いを担った部隊は、のちに編成された特攻専門部隊よりはるかに多くの搭乗員が犠牲となった。彼らはそのなかで、何を見て、どう戦っていたのか?

 

苦戦を強いられた日本軍

太平洋戦争中期、昭和18(1943)年2月、日本軍は約半年にわたって激しい攻防を続けていたソロモン諸島のガダルカナル島から撤退。連合軍はここを足がかりに、日本軍の一大拠点であるニューブリテン島ラバウルを窺い、さらなる攻勢を強めようとしていた。

日本側はそれを阻止すべく、ラバウルや最前線のブーゲンビル島ブイン基地を拠点に、零戦や一式陸上攻撃機(陸攻)、九九式艦上爆撃機(艦爆)などをもってガダルカナル島への空襲を繰り返す。だが、同年4月18日、前線視察中の聯合艦隊司令長官・山本五十六大将がブーゲンビル島上空で乗機が米戦闘機に撃墜され戦死するなど、苦戦を強いられていた。

昭和18年4月頃、ラバウル東飛行場に並ぶ二〇四空の零戦
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