2022.05.18
# 格闘技 # 本

アントニオ猪木が多額投資をしてブラジルで牧場経営していたときのこと《村松友視》

【連載】〈事実は小説よりも奇なり〉アントニオ猪木 もう一つの貌 第三章(前編)
作家・村松友視氏が『私、プロレスの味方です』で作家デビューしたのは1980年のことだ。ここでアントニオ猪木と出会った村松氏は、猪木と独特の交友を重ね、現在に至る。プロレス内プロレスを「過激なプロレス」へ脱皮させたアントニオ猪木とは何者か? 新日本プロレスの旗揚げから今年で50年、猪木はいま闘病中である。40余年にわたって猪木を観察してきた村松氏がこの稀代の格闘家の「もう一つの貌」を描く本格連載の第三章を掲載する。
連載〈事実は小説よりも奇なり〉アントニオ猪木 もう一つの貌
これまでの記事はこちらから
第1章 前編後編
第2章 前編後編

第二の故郷へ向かう

「いやあ、また会いましたねえ……」

まるで、前日に新宿で会った相手に翌日渋谷で再会したかのように、かっと輝く笑顔をつくって手を振るイノキに、私は思わずとまどいのまじる笑顔で応えた。

私は、プロレスにおいてのまったくの部外者という立場を堅持し、自分なりの過去におけるテレビでのプロレス観戦の記憶、それに偶然に現場で見た力道山・木村戦などの思い出をもとに、自分なりのプロレスの見方をもかさねて『私、プロレスの味方です』を書き上げ、それがベストセラーとなったのでその責任を取って(妙な言い方だが)二作目の『当然、プロレスの味方です』を書き、そのいきおいで『ダーティ・ヒロイズム』宣言を書くなりゆきとなった。出版社の一社員であった私に、その第一作目の印税が入ってきたのは、三作目を書き終えたあたりだった。

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その間、アントニオ猪木と間近で対面したのは二度、一度目は蔵前国技館の控室、二度目は『当然、プロレスの味方です』に収録するための富山県高岡市の旅でのインタビューだった。

この二度の対面の刺激が、体に棘のごとく突き刺さり、その快感をともなう刺激の毒が、体中をめぐり脳を支配するけはいが生じてきて、ついに私は、アントニオ猪木の評伝を手がけようと目論みはじめた。

プロレス業界やプロレス・マスコミに身をおくでもない、謂わばプロレスの門外漢であり素人である私が、プロレス本を書くこと自体が無謀な行為であると自覚していたが、その熱が昂じてアントニオ猪木の評伝執筆というのも大胆だった。

だが、世の中に業界的でない著者による人物論としてのプロレスラーの評伝などあり得ぬという一般の常識を考えれば、プロレスのど真ん中へ狙いをつける意味はある……これが、アントニオ猪木の評伝を書くについて“目論む”という言葉をからめた私の企みだった。

 

その評伝のためには、アントニオ猪木の第一の故郷たる神奈川県の鶴見市への取材、第二の故郷たるブラジルへの取材が不可欠と、私は会社の暮れと正月の休暇に有給休暇の何日かを加え、『私、プロレスの味方です』の印税の一部を軍資金として二週間弱のブラジルへの旅を思い立ったのだった。

そんないきさつで、私は日本の地球の真裏にあたるブラジルへの、おそろしく長い飛行機の旅のあげく、予約してあったサンパウロの日系ホテルへと辿り着いた。

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