2022.05.21

新説! 秀吉の「海からの大返し」を検証する

当時の「航海」を再現してわかった天才性
本能寺の変後、明智光秀を討つために猛スピードで京都に戻ってきた「中国大返し」で、羽柴秀吉は船に乗っていた! 播田安弘氏が著書『日本史サイエンス』で発表して話題騒然となったこの斬新な説が、2021年にNHK『歴史探偵』で実験されていた。そこから得られた貴重なデータによって何がわかるのか、このたび『日本史サイエンス〈弍〉』を上梓した播田氏自身が解説する。

「中国大返し」はなぜ困難なのか

1582(天正10)年、織田信長が明智光秀に討たれた本能寺の変は、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)にとっては運命が大きく開けたターニングポイントでした。当時、中国地方の毛利氏を攻略するため備中高松城(岡山県)を水攻めしていた秀吉は、変を知るや、2万の大軍を率いて岡山から京都までの約220kmをたった8日間(諸説あります)で引き返し、光秀を山崎の戦いで破ります。この「中国大返し」を起点として、秀吉は天下統一への道を駆け上がったのです。

【図】中国大返しのルート 中国大返しのルート:6月3日深夜に本能寺の変を知った秀吉軍は、5日に備中高松を出発し、実質8日間の行軍で13日朝、京都の山崎に布陣した

しかしながら、この高速行軍がなぜ可能だったのかは、戦国史の大きな謎とされています。個人的には、中国大返しには以下のような困難があったと考えます。

  1. 兵士は重さ20~30kgの武具などを携行し、時速4kmで一日平均8時間を8日連続で歩いた計算となり、その消耗度は自衛隊並みの猛訓練を8日間続けたにひとしい。
  2. 沼(岡山県)から姫路(兵庫県)に向かう途中には、高低差が大きく、道が曲がりくねって非常に歩きにくいため「山陽道一の難所」と呼ばれる船坂峠があった。
  3. 当時は梅雨で、8日間のうち5日は雨だったと考えられ、夜に濡れた地面で野営する兵士たちは睡眠を十分にとれず、疲労が蓄積していったと思われる。
  4. (4)この行軍で兵士が一日に必要なカロリーは、おにぎりに換算すると1人あたり20個となり、全軍では一日に40万個、重量で約40トンにもなったと考えられる。
  5. 武器、食料、水などを輸送する馬は6000~7000頭は必要で、それらと2万の兵士が排泄する糞尿は一日に150トン以上にもなり、きわめて不衛生な環境だった。
  6. 山陽道は狭い道が多く、行軍は長蛇の列となりやすいため、かりに側面から明智勢や毛利氏の奇襲を受けた場合、ひとたまりもなく全滅する危険があった。

とくに、2の船坂峠は、普通の平面地図を見てもあまり感じませんが、大判の立体的な大地図で見ると、難所であることがよくわかります。梅雨時は道がぬかるむので、さらに体力的に消耗します。

後代、江戸時代に伊能忠敬が作った地図に見る船坂峠付近と、今も残る山陽道旧道に沿って船坂峠付近(伊能図の左下・三石から右上・梨ヶ原にかけて)の標高差を測った標高グラフ。最高点あたりが峠。激しい高低差がわかる 国土地理院地図伊能図、および電子地図断面図ツールを利用して作成

しかも、いうまでもなく、この行軍はゴールインすれば終わりではありません。そのあとに強敵・明智軍との決戦が控えていたのです。たとえ天下取りへの道が見えていたとしても、リスクが大きすぎると私は思うのです。

「御座所」の新発見

しかし最近になって、奈良大学教授の千田嘉博氏によって興味深い発見がなされました。本能寺の変の直前、秀吉は信長に、毛利攻めの援軍を要請しました。これに応じて信長みずからの出陣が決まると、秀吉は山陽道の各所に、信長軍の食料補給や宿泊のための「御座所」(ござどころ)と呼ばれる拠点を設置しました。中国大返しでは、これを秀吉自身が利用したのであろうというのです(2020年4月放送『英雄たちの選択』NHK BS3より)。

たしかにこうした拠点があれば、行軍は格段に楽になります。御座所の発見によって、中国大返しの見方は大きく変わりつつあります。

【写真】御座所が設置されていたとされる兵庫城の跡御座所が設置されていたとされる場所の1つである兵庫城の城址 photo by public domain

ただ私は、それでも中国大返しの困難がすべて解決するわけではないと考えます。何より、やはり船坂峠は越えなくてはなりません。連日の雨でぬかるんだ急な山道の上下は、兵馬を大きく消耗させます。この行軍では、船坂峠がボトルネックなのです。

また、御座所が2万人の兵士が眠れるほど大規模なものであったのかも疑問です。短期間でそれだけのものを何ヵ所もつくることは難しく、実際には雨中の野営をしいられた兵も多かったのではないかと思われます。

そう考えると、御座所があったとしても、中国大返しはまだまだリスクが大きいのではないかという気がするのです。

関連記事