東大卒の才女として様々なメディアで活躍する山口真由さん。幼い頃に「絶対的なルールブック」を与えてくれた母親は、中高や留学生活、社会人になってもずっと山口さんに「与え続けてくれる」存在だという。母娘の関係を振り返った前編【小1で「12時間の長時間フライト」でも直立不動…絶対的ルールだった母との関係】に続き、変えられない「母」という役割と、それに追随する「娘」の関係について考える後編です。

「母親」という役割から降りられない

何かをやってあげる母と、何かをやってもらう娘。その関係は、今も変わらず維持されている。私が実家に帰ったとき、駅まで迎えに来てくれた母は、本がぎっしり詰まった私の重たいスーツケースを運ぼうとした。荷物に引きずられるように階段を一段一段慎重に降りる、そのやけに小さな後ろ姿に、心臓をぎゅっとわしづかみされる。

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「自分で運ぶからっ」と慌てて駆け寄った私が差し出したその手を、「だいじょうぶよ」と思いのほか強い口調で母は拒む。

そのときに、私は思ったのだ。母というのは、どうして母親という役割から降りることができないのだろう。

娘は徐々に大人になっていく。反比例するように、母は徐々に年老いていく。幼きあの日に、私を守り、律し、そして罰した絶対的存在は次第に相対化され、そしていつかのタイミングで娘たちとの関係は反転するはずなのだ。私の力は強くなる。私の知識は増えていく。一方で、どれだけ勝気な人でも、寄る年波の中で体力も気力も少しずつ衰えてはいくだろう。

だが、たとえ力関係が反転してもなお、親子関係は入れ替わらない。私は彼女の母にはならない。彼女は私の娘にはならない。ここにある種のねじれが生じている。