小熊さんが論文の書き方を解説した現代新書の新刊『基礎からわかる論文の書き方』から、「対象」と「主題」の違いと、科学の法則について、学生との対談形式で解説したパートをお届けします。
モノは見えるが、法則は見えない
それでは、対象と主題はどう違うのか。考えてみましょう。
二酸化マンガンと過酸化水素水を混ぜて、酸素を発生させる実験の例でいえば、「材料」と「それを使ってやること」の違いともいえます。これを言い換えると、以下のように考えればいいかと思います。
まず対象とは何か。それは、目や耳、鼻や指を使うなどして、観測できるものです。たとえば二酸化マンガンの粉は、目で見ることもできるし、指で触ることもできます。過酸化水素水と混ぜて発生した泡も、肉眼で見ることができます。機材を使って計測する場合でも、原理的には同じです。これを経験的empiricalに観測できる、という言い方をしたりします。
それと同じように、たとえば「インタビュー相手」は対象です。これは目で見て、話を耳で聞くことができます。歴史学が対象にする文書とか、文学研究が対象にする文学作品などの記載も、目で見ることができます。
それに対し、主題というのは何か。これは、目で見たり耳で聞いたりできない、普遍的なものを求める問いのようなものです。その典型は、「法則の探求」です。「これらの現象に共通する法則性は何か」というのが、世にある多くの論文の主題です。
ところで皆さんは、「重力の法則」を見たり聞いたりしたことがありますか。

B え? モノが落ちるのは見たことがあります。
教員 それは、運動している「モノ」を見た、ということですね。あくまで、「モノ」を見たというだけです。「重力」は見たり触ったりしたことがありますか。
B モノを持つと重いです。
教員 それは、「モノに重力が作用した結果とされる重さ」を感じた、ということですね。「重力」そのものを、見たり触ったりしたことはありますか。
B そういわれると、自信がなくなってきました。
教員 そうね。「重力」や「法則」そのものが、見えたり聞こえたりするわけがない。
B じゃあ、「重力の法則」って何ですか?
教員 私としては、「それがあると前提すると、この世の現象が説明できるもの」という立場をとる、と述べておきましょう。
B どういうことでしょう。
教員 私たちが日ごろ見たり聞いたりしているのは、「手を放すとモノが落ちる」ということにとどまります。「法則」は見えたり聞こえたりしない。
B だけど、確かな法則なんじゃないですか?
教員 確かなのは、いまのところ、「手を放したがモノは落ちなかった」という事例は観測されていないということです。しかし、明日以降もずっとそうかどうかは、誰も保証できない。あなたは保証できますか?
B 不安になってきました。