昔の週刊漫画? 古市憲寿がプロに聞いた、10分で分かる『神曲』

ラストには神が待っている
『神曲』。言わずと知れたイタリアの詩人ダンテ・アリギエリ(1265~1321)による長編の宗教的叙事詩で、ラテン語ではなくトスカーナ語で書かれたことから、近代市民文学の先駆とされています。こんな世界史の教科書に載っている知識は持っていても、実際に『神曲』に目を通したことがある人は、少ないのではないでしょうか。
そんな人のために、現代新書の新刊『10分で名著』より、古市憲寿さんがイタリア文学者の原基晶さんに『神曲』の見どころを聞いた対談を、特別にお届けします。
今回の対談相手:原基晶(はら・もとあき)
イタリア文学者、1967年生まれ、東海大学准教授。2014年にダンテ・アリギエリの『神曲』全訳と総計430ページにおよぶ解説を講談社学術文庫より刊行。惣領冬実の漫画『チェーザレ 破壊の創造者』では監修を務めた。2021年『ダンテ論』を出版。

『神曲』を一言で言うと

古市 名著とされているけれど、分厚くてなかなか手が出せない本、手を出してはみたけど挫折してしまった本ってありますよね。本書は、そういう本の読み方や読みどころを、一番信頼できる専門の方にお聞きするという、たいへん虫のいい企画です。

さっそくですが、原さんは、2014年にダンテ『神曲』の新訳を完成させました。『神曲』って一言で言えばどういう話なんですか?

 一言で言えば!(笑)。その質問は予想していなかった。うーん、一言で言えば、『神曲』はあの世の話をしているのですが、じつは徹頭徹尾、この世の話なんです。

古市 この世の何を描いているんですか?

 ダンテの時代の人間の生き方です。ダンテより少し前ぐらいから、ヨーロッパでは都市文化が起こり始めるんですね。それまでの農村がメインの社会では、時間は季節のように円環するものでした。

 

古市 そのころの人は、「過去から現在、そして未来」といったように、時間を直線で考えていなかったんですね。

 そうなんです。人間も同じように考えられていて、ある人間が死んでも、また子どもが生まれることが円環として考えられていました。つまり、季節が一周すると、もう一度同じ顔の人間がやってくると。

古市 春が毎年やってくるように、人間もこの世界にまた戻ってくるんですね。

 そういう時間感覚のなかでは、「個人」という概念は生まれません。

古市 人々は「個人」として生きるというよりも、身分や共同体に組み込まれていた。

 でも都市文明が生まれると、職人や商人などいろいろな職業ができますよね。とくに当時のイタリアでは、貿易が盛んになりました。そうすると、個人の裁量で大きな商取引の決定をしなければいけない。つまり都市は、個人が自分の裁量で物事を決めてやっていく社会をつくりあげていくわけです。

古市 都市の発展と共に類型的だった人生にバリエーションが生まれ、さまざまな生き方を謳歌する「個人」が誕生したんですね。

 ただ、「個人」という考え方が社会で定着するためには、誰かが概念として明確にしなければいけません。『神曲』で描かれているのは、そういった当時の個人というあり方なんです。

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