人に嫌われることが怖かったんだと思う

人に嫌われることが怖いから、自分に自信がないから、無意識のリスクマネジメントとして、そつなく行動する。本当はもっと無邪気にはしゃぎたくても、発言したいことがあっても謎のフィルターがその本音を無色透明に濾過させてしまうのだ。相手に不快な思いをさせなければ、嫌われることはなかろうと優等生になりきっていたことで、人間としての面白みに欠如してしまっていたのだと思う。

彼女に言われるまで気がつかなかった。そして過度な配慮は、かえって相手に気を遣わせてしまうことにも遅ればせながら気がついた。これは恋愛においても友人関係においても同じである。親しくなるまで時間がかかるし、そう簡単に心を開く事ができない。これまでの恋愛を振り返ると、1年以上の交際をしたことがなく、こんなにも長く居続けられているのはかーたんが初めてだ。喧嘩になりそうな時には、向き合わず逃げるように別れを選んでしまっていた

更に、期間があくと関係性も先祖返りしてしまう。そんな面倒な特性も兼ね備えていた。学生時代の友人と同窓会で再会した際は「当時はどんな自分で、どんなキャラクターで接していただろう」と必死に当時の記憶を呼び起こすことから、僕の同窓会が始まるのだ。そのため大人数での同窓会や飲み会は、今でもあまり得意でない。

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確かに誰にでも良い顔をする優等生は、人に嫌われることは少ないし、初対面の相手にも”良い人”認定してもらいやすいのだろう。しかし、K点を超えるような迫力のある大ジャンプは生まれない。いつでも平均止まり。個性に蓋をして、平均点を目指しているのだから、それもそのはずだ。それではいつまでたっても、心で繋がるパートナーにはなり難い。そして自分に自信が持てる訳がない。

しかし当時は、彼女の一方的に突き放す様なお別れ宣告に、悲しさに加えて少なからず怒りを覚えることもあった。思いやりのつもりで口にした言葉に対して偽善者と言われたかのようで辛かった面もある。頭ではわかってはいる、変わりたい気持ちはあるけれど、この発言をしたら相手にどう思われるかを先に考え、反応をある程度想定してからでないと口に出せないという長年の癖はそう簡単には抜けない……。

思考にも行動にも表情にも刻まれてしまっていた。無意識というのが何よりも厄介だ。自分を良く見せようと故意に優等生になっていた訳ではないことを、彼女にはわかってほしかった。もう少しだけチャンスをくれても良いじゃないか。そう思うと、堰を切ったように、自分の想いが口を衝いて出はじめた。そして”彼女と一緒にいたい”という強い想いが謎のフィルターのキメを粗くしていった。僅かに色の付いた本音が少しずつ漏れ出るようになったのだ。

つき合いたてのころ 写真提供/つーたん