「ホリー・ゴライトリー」を育んだニューヨーク

アンナ・デルヴェイが最初にニューヨークに来たのは2013年、ファッション雑誌「パープル」のインターンとしてだった。こういうきらびやかなファッション誌のインターンには、お金を稼ぐ必要のない富裕層の子女が少なくない。アンナもその一人だと思われていた。

2016年にハイラインのザ・スタンダード・ホテルの一室を根城にする頃には、彼女はニューヨークで派手に遊び回り、世界中を旅行する華やかなサークルの一員となっていた。アンナはドイツの富豪の娘で、スイスの銀行に6千万ユーロの信託財産があるという。しかし実際には彼女が何をして生計を立てているかは謎で、ホテル以外では他人の家を渡り歩き、知り合いや友人に支払いを押しつけ、クレジットカードが使えないという事例も頻発していた。

どうして、人々はアンナ・デルヴェイの嘘を信じたのだろうか? それはニューヨークに、アンナのような若くて何者か分からないファッショナブルな娘を受け入れる土壌があったからだ。

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1940年代、第二次世界大戦が終わった頃から「ヴォーグ」や「ハーパーズ・バザー」といったファッション雑誌のモデルはぐっと若返り、高価な服を着てニューヨークの街を闊歩する若い女性のイメージが誌面に溢れるようになった。しかしここで描かれている若い女性たちは何者という設定なのだろうか。上流階級の娘にしては雰囲気があまりに自由過ぎる。どのようにして手に入れたのか分からない、最新ファッションの服に身を包む謎の若い娘たち。ファッション雑誌/広告がこういう若い女性を主人公にする傾向は今に至るまで続いている。10代の頃に「ヴォーグ」などを読み漁ったというアンナにどんな刷り込みがなされたかは、その後、彼女が自分で演出した姿を見れば明らかだ。

1949年10月号の「ヴォーグ」の表紙