1986年にソ連邦ウクライナ共和国(現在のウクライナ)で起きた“人類史上最悪の原発事故”、チェルノブイリ原子力発電所の爆発事故を映画化した『チェルノブイリ1986』が5月6日に公開される。

この映画をプロデュースしたのは、自身もチェルノブイリ事故の現場にいたというアレクサンドル・ロドニャンスキー氏。長年ロシアで数々の映画を手掛けてきた彼はウクライナ人だ。ウクライナ侵攻が始まった日のことを、彼はインスタグラムにこう記している。

2月24日の早朝、成人した息子がキーウから電話をかけてきて、衝撃と落胆のこもった声で話した。「始まったよ……」と言いながら、ミサイルの音を聞かせてくれた時は信じられなかった。<中略>私の生まれ故郷であり、親戚や友人、同僚が住み、両親や祖父母が眠るキーウが、私がこの20年間、家族や友人とともに暮らし、仕事をしてきた国のミサイルに襲われるとは想像もできなかった。私は生まれてからずっとロシア語を話している。そして、今でも信じられない。<中略>昨日初めて衝撃を受けた後、私は自分のインスタグラムに、戦争の最中に目覚めたすべての人々のために、喪に服すと書いた。

アレクサンドル・ロドニャンスキー氏はこの表明のせいで、ロシア当局にゼレンスキー大統領とともに「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」に認定され、過去に手がけてきた映画はすべてロシアで公開禁止となってしまった。今回、アレクサンドル氏に取材することができたので、映画制作からウクライナ侵攻まで話を聞いた。

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チェルノブイリ事故を目撃したプロデューサー

――アレクサンドルさんはチェルノブイリ事故のときに現場にいたそうですね。

アレクサンドル:1986年当時、事故の5日後にチェルノブイリの状況を撮影しに行ったんです。大惨事が起きた数日後、何が起こったのか。爆発なのか? 原発事故なのか? といった噂が町に溢れかえりました。政府は公式発表を出さず、私たちは真実を知らされなかった。結局、ゴルバチョフが演説したのは事故から18日後の5月13日。でもその間、何か恐ろしく危険なことが起こったということだけは理解していました

『チェルノブイリ1986』より

――アレクサンドルさんはチェルノブイリ事故を何度も映画化しようとしたそうですが、なぜ、映画化まで時間がかかったのでしょうか?

アレクサンドル:チュルノブイリ事故の3、4年後あたりは事故のドキュメンタリー作品をいくつか撮っていましたが、作品規模が小さく、観客も限定的でした。ですから、より多くの人々に観てもらえる大作をずっと作りたいと思っていました。その機会が訪れたのは、この映画の俳優・監督を兼任したダニーラ・コズロフスキーとの出会いでした。彼なら“感情”を重視した物語を語れると思ったんです。