5月4日はオードリー・ヘプバーンの誕生日だ。1993年に亡くなった彼女は、生きていたら本日92歳を迎える。「銀幕の妖精」「永遠のファッション・アイコン」「人道活動家」と様々な顔をもったオードリー・ヘプバーン。彼女がいなかったら、グラマラスでない女性は美の基準とならなかったかもしれないし、リトル・ブラック・ドレスやサブリナパンツ、バレエシューズは女性服の定番にならなかったかもしれない。また、アンジェリーナ・ジョリーのように俳優業と人道支援を両立する存在はオードリーが先駆けだ。

ファッション、ハリウッド俳優、そして女性のあり方に多様性を生んだオードリー・ヘプバーンの知られざる素顔に迫ったドキュメンタリー映画『オードリー・ヘプバーン』が5月6日に公開される。

この映画は2019年にオードリーの生誕90周年を祝うため、彼女と最初の夫であるメル・ファーラーの間にできた長男、ショーン・ヘプバーン・ファーラーが企画したものだ。「オードリー・ヘプバーンをひとりの人間として見せたかった」と語る彼へのインタビューをもとに、オードリーの人生と知られざる逸話を紐解いていきたい。

若き日のショーンさんとオードリー〔PHOTO〕ショーンさん提供
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母に愛されず、父に捨てられた

1929年5月4日、ベルギーの首都ブリュッセルで3人兄弟の末っ子として生まれたオードリー・ヘプバーン。彼女がオランダ貴族の血を引いていたというのは有名な話だが、母親が貴族の末裔であった。父親はアイルランド系イギリス人の実業家。育ちに恵まれているかに見えるが、母親はオードリーに愛情を示さず、「愛している」と伝えたことも褒めたこともなかったという。彼女の世話は叔母や家政婦に委ねられていたため、オードリーは母親の愛に飢えていた。
両親の夫婦仲もよくなく、彼女が6歳のときに別居。オードリーは幼いのにイギリスの寄宿学校へ追いやられる。そうして10歳になる頃、両親は離婚。父親は家族のもとを去り、それ以来、家族の目の前に現れることはなかった。

幼い頃のオードリー。舞台に参加した時の様子(写真中央)/『オードリー・ヘプバーン』より

後年、有名になったオードリーは父親を探し出すが、アイルランドに住んでいた彼はオードリーに会っても嬉しそうな顔を一切見せず、オードリーは深く傷ついた。それでも彼女は、薄情な父親に死ぬまで毎月仕送りをしていたという。両親の不和、自分に厳しく当たる母と家族を捨てた父親、外国の寄宿学校……オードリーは両親の愛に飢えた孤独な子どもだった。

父親とのツーショット。写真では笑顔だが…/『オードリー・ヘプバーン』より