ベネッセアートサイト直島や瀬戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸)の舞台となる「瀬戸内海国立公園」。アートと自然が共存する島々には、あるものを生かしていく知恵が息づいています。今回は、島とゆかりのある方のインタビューとともに、大島と小豆島をご紹介。

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【大島】OSHIMA

島全体がハンセン病の国立療養所「大島青松園」となる大島。強制隔離されてきた人々の記憶をアートで開く。

ハンセン病に向き合い、新たな大島の魅力を知る

1933年、青松園青年団によってつくられた全長1.5kmの周回路を順次復活させていく、鴻池朋子氏の作品〈リングワンデルング〉。Photo:Atsushi Nakamichi(Nacása & Partners)

いまでは治療法が確立され、完全に治る病気だと周知のハンセン病だが、かつて国の誤った政策により、長らくハンセン病患者が隔離されていた時代があった。大島全体を敷地とする国立療養所「大島青松園」も、もとは隔離施設。開かれた場所となった現在も、高齢になる回復者たちはここで生活している。

2010年、大島は瀬戸芸の会場のひとつとなった。以降、入所者とアーティストとの緩やかな交流がつづいている。瀬戸芸会期中は、現代美術家で絵本作家の田島征三氏、美術家の山川冬樹氏、現代アーティストの鴻池朋子氏らが大島で制作した作品をゆっくり堪能できる。

島を歩きながら、場のエネルギーと対話し、強い偏見や差別を経験してきた島の背景を学び、療養所で暮らした人々の生活や歩みに寄り添う。そんな時間は、まったく違った大島像を与えてくれるはず。瀬戸芸ボランティア〈こえび隊〉による大島案内ツアーにも、ぜひ参加してほしい。

鴻池朋子さんインタビュー

過去に切り開かれた道を、作品にするということ

瀬戸芸2019で、大島を舞台に作品を制作した現代美術家の鴻池さんが、初めて大島を訪れたのは、2017年3月のことだという。

「いまはずいぶんオープンになりましたが、数年前まで、官有船に乗って島に渡るのに多くのプロセスを経る必要がありました。船で島へ入るところから独特の緊張感があったことを憶えています」

こわばる身体をほぐすため、ひとり海岸を歩き、宗教地区の山道を登り、ようやく呼吸がしやすくなったと鴻池さんは振り返る。

「半年以上通ううち、何か物をつくって設置することに違和感を感じて。締め切り迫るなか、山に登ったんです。とにかく自分の場所を探そうと。そうしたら、道の痕跡のようなものを見つけた。あとで入居者さんに聞くと、1933(昭和8)年に、軽度の青年の患者たちが手掘りで開いた道だったんです。これだと閃き、チェンソーとヘッジトリマーを持って当時は薮と化していた道へ突っ込んでいきました。迷いながら手探りしていくと、2人が並んで歩くにはちょうどよいかわいらしい道が現れ、山を一周できるルート、周回路だとわかりました。これで十分と思い、〈リングワンデルング〉と名づけ、道の折り返し地点に皮トンビ(上写真)を置き、この山全体を作品としました」

〈リングワンデルング〉は、何十年も放っておかれた誰のものでもない道を、作家が偶然見つけ、整備をして生まれたものだったのだ。

「新たなものをつくるのではなく、すでにあったものがもう一度発見され、そこから言葉が生まれ出るような瞬間です。大島はハンセン病の島として歴史化されていますが、中世から人が住み、そこにたまたま療養所ができた。そしていま、その当時の手触りが残る道を、私たちが全身で感じて歩くことで、それぞれの身体に深く残せるかもしれない。資料館や博物館のような大文字ではない、個々の感覚の記憶として伝達できるんじゃないかと」

2022年の瀬戸芸では、周回路から海へ降りる石段をつくる。

「新しいものをつくればいつかは朽ちます。アートは宝という特権的な考えはすでに限界がきていて、地球問題から見れば、作品はゴミになる可能性のほうが高い。ものをつくるならば、その土地、その場所の生き物と作品が関係し、また人が作品にずっとかかわっていけるようにしたいです。アーティストは、先人がつくってきたものと、その場所の特性との間に立ち、そのつなぎ役、見えない接着剤として機能できたらと感じています」

7月、高松市美術館で開催予定の個展では、美術館と大島をつなげることに挑戦するという。巡回ではなく、リレー形式で変化していく展示になるそう。境目をうまく曖昧にする魅力を持つ瀬戸内の海のように、鴻池さんの柔軟な発想力と行動力は、アートの可能性を拡張していく。

鴻池朋子
1960年秋田県生まれ。さまざまな素材とメディアを用いて、人間の文化の原型である狩猟採集の再考、芸術の問い直しをつづけている。