認知症大国・日本が向かうべき、「認知症フレンドリー社会」のリアル

【対談】南杏子×笠貫浩史
現代ビジネス編集部

:認知症の患者さんのご家族が、「一日ボーッとさせないで、リハビリをさせたり散歩に連れ出したりして刺激を与えてください」とよくおっしゃいますが、居室で日中ぼんやりしている、言い換えれば心穏やかで長い時間を過ごすということがいかに大切かと思います。穏やかな心でいるということは、もしかしたら患者さん自身にとっては、散歩やリハビリよりもずっと大事なのではないかと。

高齢なのに気の向かないリハビリをさせられて疲れてしまうよりも、落ち着いて穏やかにテレビを観ていられる方が、患者さん本人にとっては幸せな場合もあるでしょう。若い世代の家族が考える幸せと90代の人の幸せとは違うかもしれない。そういう意味では、身体医学の内科医といえども、患者さんの心を見つめなければならないなと感じます。

笠貫:自分と他者の考える心地よさは違うかもしれない。すごく大切な視点ですね。

©講談社
 

認知症の症状はさまざま

笠貫:南先生がこのたび上梓された小説『アルツ村』をとても面白く読ませていただきました。認知症そのものをテーマにしたミステリー小説で、あまりネタバレになってしまうことはここでは言えませんが(笑)、精神科医の視点から申しましても、認知症の人の心をとても巧みに描いておられるなあと感じました。

:ありがとうございます。

笠貫:臨床現場では、心・精神の病を大きく分けて三段階に分けて見立てる「症状階層原則」と呼ばれる考え方があります。第一段階は不安症のように、原因を特定することがむずかしく、狭義には「疾患」とは言えない状態です。例えば、最近ではゲームばかりに没頭してしまう「ゲーム障害」という診断がありますが、これらは「新型コロナウイルスによる肺炎」と同列には語れない類のものです。

第二段階に属するのは、統合失調症や双極性障害などです。この段階はある時期に忽然と、従前の心のあり方とは別種の「症状」が出現するという特徴があります。精神医学ではこれを「了解不能である」と表現しますが、了解不能な症状が生まれる背景に「何かしらの疾患」が存在するはずだと100年以上前から考えられています。ですが、それが何なのかはまだ誰も解明しきれていません。

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