賛否両論のウィル・スミス「平手打ち事件」、そこに至るまでの歴史と文脈を徹底検証する

3月28日の午前中、私はリアルタイムで第94回アカデミー賞授賞式を見ていた。オープニングのパフォーマンスで、テニスコートをライムグリーン一色に染めたビヨンセのパフォーマンスにうっとりしてから1時間以上が経ったとき、「事件」は起こった。

長編ドキュメンタリー映画賞のプレゼンターとして登場したコメディアンのクリス・ロックのジョークに、主演男優賞最有力候補のウィル・スミスが間を置いてから激昂、ステージまでつかつかと歩み寄ってまともに平手打ちを喰らわせたのだ。

一瞬、演出かと思った。それくらい完璧な張り手だった。数秒後、ウィルが放送禁止用語であるカースワード(罵り言葉)を交えて罵声を浴びせて実際の出来事だとわかったが、それでもにわかに信じられなかったし、いまでもどこか信じがたい思いがある。

〔PHOTO〕gettyimages
 

本稿ではあまたの議論、コメント、ミームを引き起こしたこの事件を、極力「事実」ベースで検証する。

はじめに、筆者の立場と目的を明らかにしたい。私はおもにブラック・ミュージックと周辺のカルチャーをテーマに執筆活動をしている。1995年にアメリカに移住し、2016年に帰国した。

ライターの仕事をする前からウィル・スミスをジャジー・ジェフとセットで売れ線のヒップホップ・グループのメンバーとして認識し、彼の出世作であるシチュエーション・コメディ(以下、シッコム)、『ベル・エアーのフレッシュ・プリンス』も散々見た。

ウィルより4つ年上のクリス・ロックも同様で、気鋭のコメディで大いに笑わせてもらった、長年のファンである。ウィル・スミスの妻、ジェイダ・ピンケット・スミスの作品も彼女の結婚前からよく観ていて、好きな女優だった。過去形なのは、最近はあまり俳優業よりもウィルのプロデューサーとして活動する方が多いから。

日本ではあの平手打ちを「家族を守る行為」として称賛する意見が多く、本国アメリカの反応と温度差があった。好感度抜群の大物俳優のウィル・スミスがあれだけのことをしたのだから、クリス・ロックはとんでもない無礼を働いたにちがいない、という前提があったかと思う。

果たして、そうだったのか。

あの瞬間に至るまでの3人の背景、関係性、そしてアカデミー賞がアメリカにおいて本質的にどういうものであるのかを紐解き、いま一度、何が起こったのかを考察したい。

この時点で、日本では少数派のクリス・ロック擁護の文章に読めるだろうが、私がもっとも伝えたいのは「それほど単純な話ではない」という一点だ。そのうえで、ウィル・スミスの再起を信じてこれを書いている。

事実関係の参照元はなるべくニューヨーク・タイムズとLAタイムズに絞った。新聞にも「意見」はあふれているが、ファクト・チェックの機能はやはり新聞が頼りになる。また、2021年11月に刊行されたウィル・スミスの自伝『Will』もなんとか読了したので、そこからの考察も交える。

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