2022.04.09
# 政治政策

51年間地下に潜行「中核派」84歳最高幹部が初告白「新左翼運動とは何だったか」

対談 清水丈夫×田原総一朗(前篇)
かつて革マル派と壮絶な内ゲバを繰り広げ、「暴力革命」を掲げてゲリラ活動を行ってきた新左翼党派・中核派。そのトップ・清水丈夫氏(84歳)が、前進社(中核派本部)で田原総一朗の取材に応じた。この年齢になった革命家は、いまの日本社会と戦後の左翼運動をどう総括するのか。
清水丈夫氏 Photo by Shinya Nishizaki清水丈夫氏 Photo by Shinya Nishizaki
中核派議長 清水 丈夫
1937年、神奈川県生まれ。高校生時代に革命運動を志し、東京大学在学中に日本共産党に入党。58年に離党し、共産主義者同盟に参加。59-60年、全学連書記長として安保闘争を指導する。61年、革共同(革命的共産主義者同盟全国委員会=通称・中核派)に参加。97年、中核派議長に就任。69年4月より非公然活動に入る。2020年9月、実に51年ぶりに公然集会に姿を見せて人々を驚かせた。著書『清水丈夫選集』(全10巻予定)など。

51年ぶりに地下潜伏活動をやめた理由

田原 60年安保闘争の当時、僕は岩波映画の社員でしたが、毎日デモに参加して「安保反対! 岸(信介)辞めろ!」とやっていました。本多延嘉さんとも会ったことがあります(革共同書記長/1975年3月、革マル派から襲撃を受けて殺害された)。

清水 そうでしたか。田原さんは本多さんと年齢が近いんじゃないですか。

田原 同じ1934年生まれです。本多さんは道半ばで殺されたが、清水さんは革命家として今日まで生き抜きました。それにしても、51年間も地下に潜って運動を続けるとはすごいことですよ。

清水 いやいや、そんなことはないです。

田原 1969年から50年以上にわたって、公安当局も新聞記者も、清水さんの姿は誰も見たことがありませんでした。完全なる潜伏活動を経て、実に51年ぶりに清水さんが表に出てきたのは2020年9月のことです(革共同政治集会〈荒川区〉に姿を見せた)。この間、一人で地下に潜って論文を書き続けてきたのか。あるいはどなたか支援者と一緒に共同生活していたんですか。

清水 その質問には答えられません。

田原 50年以上にわたる潜行活動を経て、なんでこのたび公然化しようと決めたんですか。

清水 一言で言えば、情勢が大きく変わってきたからです。

田原 どういうこと?

清水 2022年2月24日、ウクライナ戦争が勃発しました。ああいうことが起きる不安定な情勢へと、この20、30年の世界は急速に変わってきたのです。

田原 地下潜行している間、何を目指して活動されてきたんですか。

清水 革命ですよ。プロレタリア革命です。

田原 革命といったって、相手は革マル派でしょ。

清水 いやいや、全然違います。

清水氏と田原氏 Photo by Shinya Nishizaki清水氏と田原氏 Photo by Shinya Nishizaki

田原 清水さんはもともと日本共産党で活動していました。東大生だった1958年12月、島成郎や香山健一、北小路敏らと一緒に第一次ブント(共産主義者同盟)に参加します。そもそもこの目的は何だったんですか。

清水 日本共産党が、本来進むべき共産主義の道からそれてしまったからです。

田原 60年安保闘争の当時は、共産党と学生の距離がそんなに離れていなかったと思います。清水さんは共産党のどこが気に入らなかった?

 

清水 自国の政府、帝国主義とちゃんと闘おうとしない。彼らは逃げていました。

田原 共産党には戦う気持ちがない。

清水 まるでない。共産党のもとで運動なんかしていたって、革命なんて絶対成功しないと思ったのです。今も共産党をはじめとする野党は、与党がやることに口先で反対しているだけで、現実的に政治を動かしていないでしょう。彼らは今も昔も本気で闘う気がない。遊戯のようにただ人を集めるだけのカンパニア(※ロシア語で「大衆闘争」という意味)をやっているだけなのです。

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