その中から現代ビジネスでは、トレーニングが苦行でなく、ようやく楽しめるものが見つかった話、都心の名ホテルにまた泊まりたくなったわけ、一生の趣味になった俳句の大きな魅力、78歳の料理研究家から学んだことなどなど、読んで楽しく参考にもなるエッセイを連載で紹介します。
やっと気づいたホテルの暮らし方
家族に果たす役割がなくなって6回目の正月。新型コロナウイルスの感染拡大がはじまる少し前で、旅をまだふつうにできた頃だが、やはり自宅ですごした。
老親の家で介護も正月準備もと何から何までしていたあいだは、「宿で迎える上げ膳据え膳のお正月」に憧れたが、いざ、そうしてもいい立場になると、意外と行かないものだ。この時期、交通機関はどれも混む。「何もこの時期、出かけなくていいな」と。

移動をあまりせず、炊事や掃除はしないでいいすごし方として、都心のホテルに泊まることは検討した。が、調べると、それはそれで込みそう。正月プランを設けていて、3世代で楽しめることをうたうところもある。
需要はわかる。子や孫を家で迎えていた人たちも、高齢になると疲れるし、海外ですごすのが常だった家族も、年をとった親を連れていくのがたいへんになろう。
正月は都心の店のほとんどが休みだ。ホテル内のレストランでファミリーに挟まれ食事するのは、ひとり客には居心地悪い。ルームサービスという方法もあるが「何もこの時期に泊まらなくていいな」と結論した。
逆に言うと正月以外の時期、泊まる意欲が高まっている。
冬の正月前に、その機会があったのだ。老舗ホテルの宿泊券を、縁あっていただいていた。
はじめは無理して使わなくていいと思った。打ち合わせや式典などでよく利用するホテル。仕事の延長のようで休まらないだろうと。が、秋から地方への出張が続き、家にいる日はいる日ですることが詰まり、いっそ都心で1泊したほうがリフレッシュできそうな気がしてきた。
予想以上の効果だった。ロビーや宴会場へはしょっちゅう出入りしているホテルでも、宿泊客として滞在する時間はまったく違った。鞄を提げて足早に歩くとか、トイレの鏡の前で、ふうと溜め息をつくといったことがない。
客室は落ち着いた茶色い木を基調とし、私の趣味と合っていた。広い、そして家事をしなくていいというだけで、たいへんな気分転換だ。ルームサービスのお茶とお菓子を運んできたスタッフは礼儀正しく親切。丁寧に温かく遇されることが、いかに心休まるかを知った。
窓から見える皇居の森、静かに水を湛えたお濠。この国の首都にいることを感じさせるに十分だ。お濠に沿った道路を車が流れ、雨催いの空の下、午後4時で早くもテールランプが滲んで目にしみるよう。進学で東京に来て40年近く。自分の街をこうした視線で眺めるのははじめてだ。
「年に一度くらいこういう大人の時間を持ちたい。他に贅沢らしいことはしていないのだし」と、ホテルの会員になる手続きを、帰宅後すぐパソコンでとるつもりが、いないあいだに溜まっていたメールの処理をはじめてしまい、手つかずのまま。そうこうするうち、世の中が大きく変わり、旅どころでなくなった。
観光業の苦境が聞こえ、あの、おっとりしてよかったホテルは今どうしているだろうと心を痛めていたところへ、新しいプランを打ち出したと知る。格安でひと月連泊できるプランだ。ステイホームに代わるステイホテル。
「応援になるし泊まろうか、でもひと月は長すぎる」と迷っていたら、即日完売したという。残念だが、それ以上に安心。
世の中が落ち着いたら、1泊しにいきたい。そうできるよう元気で働こう。