2022.03.25
# ライフ

60歳の著者が俳句を始めて「変哲のない日々」の見え方が変わった

60歳、ひとりを楽しむ準備(3)
「これが、好き」と言えるものがある人は、いくつになっても若々しい──。エッセイスト・岸本葉子さんはそう実感しています。『60歳、ひとりを楽しむ準備 人生を大切に生きる53のヒント』には、旅や俳句、美容医療、トレーニングほか、岸本さんが出合えてよかったことが失敗談も隠さず綴られています。
その中から​現代ビジネスでは、トレーニング​が苦行でなく、ようやく楽しめるものが見つかった話、都心の名ホテルにまた泊まりたくなったわけ、一生の趣味になった俳句の大きな魅力、78歳の料理研究家から学んだことなどなど、読んで楽しく参考にもなるエッセイを連載で紹介します。

無駄な時間を許せない効率主義な私が

40代半ばで俳句に出合い、50代で吟行句会に参加しはじめ、俳句番組の進行役をする機会にも恵まれた。

番組では、前もって題が出される。歳時記に載っている季語から、先生が選ぶ。いちど聞くと、収録までのあいだ常にその題が頭のどこかに留まっている。季語の題とは別に、先生が決めるテーマに従い、進行役の私も俳句を作っていくときもある。

Photo by GettyImages

俳句を考えていることが、50代から急に多くなった。

俳句に親しみ、いちばんに感じるのが「無駄なことってないのだな、どうでもよさそうなものでも、みんな何かを宿しているのだな」と。

別に「起きることはすべてあなたにとって意味があります」みたいなスピリチュアルなことを言うのではない。性急に意味を求めるのは、俳句的態度でもないと思う。

突然抽象的なことを言い出しわけがわからないと思うので、体験に即して述べていく。

あるときのテーマは「日常の移動を詠む」だった。通勤や散歩、買い物などふだんの移動の最中に、ここを詠みたいと思った瞬間を写真に撮り、併せて句も作っていく。

告げられたとき私は内心「困ったことになった」。家でエッセイを書くのが中心の私は、通勤がない。よく行く仕事先への移動がそれに代わるが、そこはかつて十数年間通院した経路でもある。ホームに降りたら考えごとをしながらでも、足はひとりでに乗り換え階段へと向かっている。目新しいものなど何もない。

そもそも私は効率主義というか、時間貧乏な人間である。駅から自宅までの十数分さえ焦れったく、途中をショートカットしたいほど。日常に詩をみいだすなんて、時間と気持ちにゆとりのある人ができることだと思っていた。

ある日の仕事帰りも、乗換駅の階段を降りると、電車がホームを出るところ。よりによって快速だ。あれに乗れたら10分は早く家に着いたのに。運の悪さに溜め息をつき、走り去る列車を見送った。

夏の、まだラッシュアワーには少し間のある時間帯。ホームの端からいく筋ものレールが伸びて、はるか先で夕陽に包まれ、溶け合うように光っている。

五七五がふとわいた。

分かれては交はるレール大夕焼

逃げないように口の中で反芻し、立ったまま鞄からペンをとり出す。次の列車までの時間は、不本意な待ち時間から異なる性質のものに変わっていた。

関連記事