コンテンポラリーダンサーで俳優の石橋静河さん。能楽師で、古今東西の古典に通暁し、多数の著書で各界に大きな影響を及ぼしている安田登さん。この二人によるフラウJAXURYならではのコラボレーション企画!

そもそも『JAXURY』とは?
FRaUが発信する、世界に誇れる日本の美しさ「JAXURY」を徹底解説!
>記事はこちら!

現代人は自分の身体を気にしすぎる

3年ほど前まで、日本語でのコミュニケーションにもどかしさを感じていたという俳優の石橋静河さん。そんな石橋さんを救った、一冊の本があった。能楽師の安田登さんが著した「日本人の身体」(ちくま新書)。安田さんは、大学時代に中国古代哲学を学び、20代前半に漢和辞典の執筆に携わった。ワキ方の能楽師として活躍するかたわら、甲骨文字、シュメール語、論語、聖書、短歌、俳句等々、古今東西の「身体知」を駆使し、さまざまな活動を行なっている、知る人ぞ知る“奇才”だ。

さて、なぜ石橋さんは、安田さんの著書に救われたのか。それは、安田さんの本の中に、現代人が抱える「生きづらさ」から解放されるヒントがいくつも書かれていたからだ。たとえば、「日本人の身体」のあとがきには、「どうも現代人は自分の身体を気にしすぎるのではないか」とある。

昔の人は、とてつもなく長い時間感覚や、身体に対するおおらかさをもっていた。そして自分を自然の中に置いて、ゆったりと生きていた。ちなみにそれが現代に残っているのが能の世界である。(中略)老いることを極度に恐れ、アンチエイジングや健康器具に走る日本人に、昔の日本人は、もうひとつの可能性を見せてくれるのではないかと思って本書を書き始めた」(「日本人の身体」あとがきより)。

古い日本語の「からだ」の意味は……

石橋さんは、15歳から18歳まで、イギリスとカナダにバレエ留学をし、「クラシックの世界では自分はプロになれない」とわかって帰国した。それは、人生で初めての大きな挫折だった。日本で、コンテンポラリーダンサーとして活動しながら、21歳で俳優としてデビュー。それまでのコミュニケーションは、言語を介さなくても、身体で表現するだけで意思を伝え合うことができたのに、俳優の場合は、監督や演出家が求めるイメージに近づくことが必要になる。自分が感じたことを全て言葉にして伝えていかないと、なかなか前に進めないのに、英語圏で体得した「言いたいことをはっきり主張する」というストレートな話法が、現場の中で馴染めていないことに、不安を覚えていた。

「日本人の身体」によれば、古い日本語の「からだ」というのは死体という意味で、生きている身体は「み(身)」と呼ばれ、それは心と魂と一体のものだった。それが、やがて生きている身体が「からだ」と呼ばれるようになったことで、身体は自分自身から離れて対象化されるようになったのだと。それによって、身体は自分自身との一体感が薄れ、自分の周囲に境界を設け、他人との壁も設けるようになってしまったらしい。

他人との境界が曖昧なら、人の苦しみは我が苦しみ、人の喜びは我が喜びとなるものを、現代は、自分と周囲の間に壁を作り、「孤」の道を歩む方に進んでしまっている。現代の日本は、自己が確立するあまり、他に対して懐疑的になり、深刻な対立が生まれてしまうような息苦しさを感じると、安田さんは書いている。

境界が「あわい」だからこそ他人や自然と共鳴できる

石橋さんは、「日本人の身体」を読んだことで、「人間同士の境界も、環境との境界も曖昧であったからこそ、他人や自然と共鳴できていた」日本人の身体観を知り、日本語ってなんて奔放で面白いんだろうと感じた。そのことを、昨年の9月4日に公開されたインタビューで語っている。この記事がきっかけになり、FRaU5月号JAXURY特集号で、安田さんと石橋さんの対談が実現。打ち合わせの段階では、写真や映像の表現を通して、能楽師とダンサーとが、現場でどんなコラボレーションができるのかは全く未知数だったが、最初に縁側で撮影したときに、安田さんから、「せっかくなので、『羽衣』を謡いましょうか?」という提案があった。そうして謡に合わせ、石橋さんが自由に舞った。縁側という外と内との境界が溶けていく場所で、石橋さんは自然と一体化していき、見ている私たちの意識と無意識も曖昧になっていった。

「JAXURY」とは、Japan’s Authentic Luxuryの略称造語。日本発の誇れる「ほんもの」「光り輝くもの」がJAXURYである。安田さんと石橋さんは取材の日、日本家屋でのスチール撮影を終え、動画の撮影のために、講談社屋上のヘリポートへ向かった。そのときに安田さんが謡ったのが、今から4000年以上前に、シュメール語で書かれた世界最古のメソポタミア神話「イナンナの冥界下り」だった。「イナンナ」とは、アフロディーテやヴィーナス、聖母マリアなどの「女神の源」とされている。
-AD-

安田さんは、自著「古典を読んだら、悩みが消えた。」(大和書房)の中で、「古典は、国や政府によって保護されたから残ったわけではありません。能もそうですが、何度も何度も世の中から消えてしまいそうになる危機を経験しました。それでも現在まで残っているのは、人々に愛され続け、そして読まれ続けたからです。それは、私たちの生活に必要だったからです。ふだんはその必要性はあまり感じないかもしれません。しかし、人生の危機に直面したとき、生きているのが苦しくなったとき、古典は生きる知恵を教えてくれます」と書いている。