いわゆる「白馬の王子様」と呼ばれる、主人公の女性をピンチから救ってくれる、頼りがいのあるかっこいい男性は、少女漫画の代表的なヒーロー像だ。しかし、それは昭和までの傾向であり、平成から少女漫画のヒーロー像は大きく変化しているという。『美少女戦士セーラームーン』や『こどものおもちゃ』など、平成を代表する少女漫画から、三宅さんがその変化を考察する。

※以下、三宅さんの著書『女の子の謎を解く』を著者の許可を得たうえで一部抜粋・再構成したものです。

三宅香帆さんの著書『女の子の謎を解く』
-AD-

昭和から平成、少女漫画は変化する

平成の女の子たちは、「弱い男の子」に恋をした。平成が終わって令和になった今、数々の少女漫画を片手に、そう言えるんじゃないだろうか。

平成が終わって令和になり、思う。「最近、平成の少女漫画リバイバル多すぎだろ!」と。まさか2010年代が終わろうとする今、『BANANA FISH』や『フルーツバスケット』がアニメになるとは思わないし、まさか『ぼくの地球を守って』『ママレード・ボーイ』『カードキャプターさくら』の続編が拝めようとは、まさか『GALS!』の藤井みほな先生がツイッターに降臨するなんてー! と、このあたりのタイトルに反応した人は、きっと平成の少女漫画好きではないだろうか。

少女漫画といえば、その流行が始まったのは昭和だ。もしリバイバルというジャンルが流行るのならば、昭和の漫画がリバイバルされてもよいのではないか。しかし昭和の少女漫画を今読んでみると、主人公の女の子ではなく、相手役のヒーローに対してやや違和感を覚えてしまう。なんせ、完璧すぎる。女の子を助けてくれる存在としてのヒーロー。キラキラした王子様。「こんな男性おらんがな」とツッコミを入れたくなってしまう。野暮だけど。ここで昭和の少女漫画論として有名な、作家の橋本治による『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』の一節を紹介したい。

自らが女であることを認めた少女の前に存在するものは垣根である。そしてその向うには少女と全く別種の人間が存在する。それは、男である。

(「妖精王國女皇紀──山岸凉子論」『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ(前篇)』)

橋本治が言いたいのは、こういうことだ。少女漫画を読むような女の子たちは、ある日気づく。いままで自分はただの人間だと思っていたのに、実は「女」という性を持っているのか! と。自分が「女」ならば、この世には「男」という性が存在する。というか、顔を上げてみると、むしろ世界は「男」のものだとさえ思える。じゃあ、私は、「女」という性を持つしかない私は、どうやって生きていけばいいんだろう? そんな逡巡をめぐる記録が少女漫画というジャンルなのだ。