2022.03.24

プーチンがお手本にする「狂気の独裁者」ヨシフ・スターリン、そのヤバすぎる末路

ウクライナ戦争の根源

ロシア革命を経てレーニンの亡き後、1953年で息絶えるまでソビエト連邦共和国の最高指導者であり、絶対権力をほしいままにしたヨシフ・スターリン。じつはプーチンはこのスターリンをロールモデルにしていると言われている。

前編記事『プーチンよりもヤバい…ロシア、旧ソ連の独裁者「ヨシフ・スターリン」“銃殺”と“粛清”の歴史』では、猜疑心の強いスターリンが権力の座についたのちの大粛清の中身についてをお伝えした。自らの側近を次々と銃殺していくスターリンの加速していく狂気はどんな末路を迎えたのか…。

自らの警備隊長も粛清

スターリンは次のターゲットと心の中で定めた人間を昇進させることさえした。自分が信頼を勝ち得ていると思った時、その名前はスターリンの抹殺リストに密かに書き込まれているのだ。

「ロシア全史を通じて最も血まみれの年」とされる1937年、スターリンは自らの警備隊長パウケルも銃殺刑に処した。

その年、59歳になるスターリンはクレムリンから30kmほどの秘密の別荘に居を構えていた。夜型のスターリンが執務を終える深夜、数台の黒塗りの高級車がクレムリンを出て政府専用道路を走り去る。

どの車にスターリンが乗っているかは極秘だったが、彼の隣には常にパウケルが乗っていた。そのパウケルがある日突然、消された。

パウケルは罪を犯したわけではない。ただ他の政治局員が、犬や子供の服を手に入れる便宜を図っていただけだった。もはや銃殺刑に合理的な理由などなかった。

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「スターリンは孤独でした。2人の妻を亡くし、親族は粛清。子供たちとの関係もうまくいかなかった。私は彼の孫3人を取材しましたが、祖父に会ったことがあるのは長男ヤーコフの娘・ガリーナだけでした。それも生涯で5回ほどだと言います。

スターリンの次男ワシーリィに至っては警備隊長を養育係として育った、と聞きました。スターリンの家族への愛情が一般人の感覚とかけ離れていたのは、間違いないように思います」(『スターリン家族の肖像』の著者・福田ますみ氏)

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