2022.03.24

「デカい主語」「大きな主語」の語りにはなぜ注意が必要か?「総称文」から考える

言語哲学の入門書『悪い言語哲学入門』(ちくま新書)を上梓した南山大学准教授の和泉悠氏が、SNSでよく見かける「デカい主語」「大きい主語」を用いた語りへの注意点を紹介します。

「赤坂の女はゴミの日を守らねえな」

お笑いコンビ・納言さんのネタのひとつに、とある街やそこに住む人たちをディスるというものがある。たとえば、

(1) 赤坂の女は全然ゴミの日を守らねぇな。
(2) 下北の女はお辞儀が浅いな。

のようなものだ。これらはもちろん冗談であり、私たちは「そんなわけないでしょ」「何を言ってるのよ」「変な偏見やめてよ」と切り返すわけである(漫才の中でもそのようにツッコまれる)。

「赤坂」や「下北」といった街についてのイメージや、これを言う納言のすすきみゆきさんのキャラクターなど、発言がお笑いとして成立するための条件はいくつもある。(1)や(2)がどうして面白いのか、という問いはさておくとしても、大前提として、私たちはもちろん(1)や(2)はネタで、正しくない、事実ではない、と考えている(納言のお二人もきっとそう思っているだろう)。

しかし、実は、(1)や(2)のような発言が正しくないことを示すのはそれほど簡単ではない。というのも、(1)や(2)が一体何を表しているのかよく分からないからだ。

 

総称文とは何か? 「量についてのあいまいさ」

そもそも「赤坂の女」や「下北の女」、あるいは「男性」「女性」「会社員」のような、たくさんの人やものに当てはまる名詞を使って、「AはB」という形で一般的なことを述べる文を「総称文」と呼ぶ。たとえば、

(3) クジラは哺乳類だ。
(4) 鳥は空を飛ぶ。
(5) サメは人を襲う。

のようなものがその代表例である。こうした総称文は、総称的に、「クジラ」や「鳥」一般について語っており、また、「飛んだ」という過去形ではなく「飛ぶ」といった現在形が使われていることからも分かるように、単に過去に何があったか記述しているわけではなく、何らかの一般化を述べている。

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