ALS(筋萎縮性側索硬化症)を検索すると「感覚があるままに体が動かなくなる病気」という説明が多くされています。もう少し詳しい書き方を探すと「筋肉が動かなくなってしまう」と書かれています。そして「現在、効果の認定されている治療法がない」と言われていることで知られています。前回は体重管理の話をしながら、自分の排泄の話を例にして「排泄介助は簡単ではない」というお話をしました。今回はALS罹患者の対症療法と介護体制についての色々な思いを書きたいと思います。毎日の生活でのお話になっていきます
奇跡的と言われるように声は健在で、30周年をむかえたニャンちゅうの声も聞かせてくれている声優の津久井教生さん。しかし手足は動かず、原稿は割り箸を口にくわえてひと文字ひと文字打ち込んでいます。「伝えたい」という思いで書いてくれている連載「ALSと生きる」、今回は前回でお伝えした「排尿の話」から「自分のやり方にあった介護」についてお伝えいただきます。
前回に引き続き排泄に関してお話をします
「とても大切なお話でした」とコメントをいただき、書いて良かったと思う排泄の話でした。それなりに詳しく書かないと「排泄の介護」は簡単にできると思われてしまう。詳しく書くと「そんなに大変なんだ」と、その部分だけがクローズアップされてしまいがちです。読んでいる方がどう感じるかについて想像を膨らませるのですが、文章を書くことの難しさを感じましたし、様々な反応が勉強になりました。
ここでもう少し自分に起こったことを書くと、「排泄は進化する」という事です。何の気なしにやっていた排泄ですが、自分が徐々に出来なくなるにつれて工夫する事を余儀なくされます。まだ自分でやれていた時は「どうやって便器の前に立つか・座るか」を工夫すれば問題なく出来ました。
健常の時には全く思わなかったことです。ということは、健常の時には「自分がどのような排泄癖があるのか?」なんて言うことも、最低限知っているだけだと思うのです。女性には分からないと思いますが、立って用を足す小便器などは、やりにくくなって初めて気がつくことが多くあります。
「立っている角度」「ズボンのチャックの下ろし方」「性器の出し方」「排尿の飛癖」「排尿後のしまい方」にしっかりとした自覚意識で気がつくという感じです。ちゃんと“自分のやり方”が存在するのです。