解決されない問題は“伏線回収”されるのか

現在、NHKで放送中の連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』の物語が、いよいよ佳境を迎えている。ネットではさまざまな人が本作の感想や、今後の展開の考察を発信して盛り上がりを見せているところだ。

その中に、「ラジオの英語講座がテーマのはずだったのに、ラジオの話はどこに行っちゃったの?」という旨の苦言を見かけた。確かに、「安子編」では安子(上白石萌音)と雉真稔(松村北斗)をつなぐ重要なツールであった「ラジオ」あるいは「英語講座」は、「るい編」「ひなた編」と進むにつれてほとんど登場しなくなっていった。

また、安子とロバート(村雨辰剛)のその後はどうなったのか、大月錠一郎(オダギリジョー)が再びトランペットを吹く日は来るのかなど、伏線かと思われたさまざまな出来事が回収されないままであることを批判する声もしばしばある。中には、「るい編」であれだけお世話になった竹村クリーニングの夫妻(村野雄浩・濱田マリ)に、るい(深津絵里)があれから一度も会いに行かないのは礼を欠いていて不自然だ、といったほとんど風紀チェックのような意見も散見された。

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これまでも数々の作品で終盤に怒涛の伏線回収を畳み掛けてきた藤本有紀脚本のことだ。おそらく今回もその手腕は遺憾なく発揮され、ネットのいわゆる考察厨に賛否両論を巻き起こすだろう。しかし、本作において解決されないまま残された数々の問題は、そもそも伏線回収されなければならないのだろうか。そして、本作において「ラジオの英語講座」とは何を象徴しているのだろうか

その答えを探すために、まずは「ひなた編」において時代劇がどんな役割を果たしていたのか考えていきたい。