2022.03.14

「こんな馬鹿な戦争」…未来を見通しながらも、運命に翻弄された真珠湾攻撃隊員の悲劇

昭和16年(1941)12月8日(日本時間)。ハワイ、オアフ島の真珠湾に停泊するアメリカ太平洋艦隊に、日本海軍の航空母艦を飛び立った350機の攻撃機が襲いかかった。

わずか2時間たらずの攻撃で、ハワイにあった米艦隊と航空部隊を壊滅させるという大戦果を上げ、日本の航空部隊の優秀さを世界に示した。しかし、日本中が開戦の勝利に沸き立っていても、攻撃作戦に参加した搭乗員たちは、決して浮かれてはいなかった。

戦後50年以上を経てはじめて、彼ら搭乗員たちが語った本音とは……?

<【前編】真珠湾攻撃に参加した隊員たちがこっそり明かした「本音」>に引き続き、真珠湾攻撃の瞬間を語る元隊員たちの証言と、その本音について紹介する。

気味悪く感じるほど、反撃の立ち上がりは早かった

「朝日をバックに、堂々の大編隊を見た感激は忘れられません。男の本懐、これに過ぐるものはないな、と」

そう語るのは、空母「加賀」第一次発進部隊零戦隊指揮官として9機を率いた志賀淑雄さん(当時・大尉)である。

 

「静かな日曜の朝でした。東から太陽を背にして入ったんですが、真珠湾には、ライトグレーに塗られた米戦艦が2列にズラッと並んでいました。大艦隊が朝日に映えて、本当に美しかった。これに火をつけていいのかな、とふと思ったぐらいです」

ちょうど、オアフ島北端のカフク岬が、白く映えた断雲の下から絵のように見えてきたとき、総指揮官・淵田美津雄中佐が信号銃1発を発射した。「奇襲成功」の合図である。奇襲の場合は信号弾1発で、雷撃(魚雷攻撃)隊が真っ先に突っ込み、敵に発見されたり反撃をうけたりして強襲になった場合には、信号弾2発で、艦爆(急降下爆撃)隊が最初に投弾する手はずになっていた。

「ところが、信号弾が目に入らないやつがいたのか、淵田中佐はもう1発、信号銃を撃ちました。2発は強襲の合図なんですが、状況から考えて、これは(強襲と)まちがえるほうがおかしい。あとで淵田さんに聞いたら、やはりあの2発めはダメ押しだったと。

それなのに艦爆隊が、2発めを見て強襲と勘違いして、そのまま目標に向かっていく。雷撃隊は、と見ると、単縦陣になって、まだ高度を下げつつ西海岸を回っている途中です。艦爆の一番機は、フォード島の飛行場に向かってピューッと急降下すると、250キロ爆弾を落とした。それがまた、格納庫のど真ん中に命中したんです。『馬鹿野郎!』と思わず叫びました。

格納庫からバッと火が出て、煙がモクモクと出てきた。爆煙で雷撃隊が目標を見失うようなことになれば、敵艦隊の撃滅という作戦の意味がなくなりますから、気が気ではありません。『煙の方向は?』と見ると、幸い北風で爆煙は湾口の方へ流れてゆき、敵艦隊は姿を見せたままでした。

『ああ、よかった』と思ったら、また1発。すると、何分もしないうちに港一帯、まるで花籠のように見えるほど、激しい対空砲火が撃ち上げられました。あれ、アメリカはわかってて待ち構えていたのかな、と気味悪く感じるほど、反撃の立ち上がりは早かった。

真珠湾攻撃、ヒッカム飛行場上空を飛ぶ九七艦攻(左上)

雷撃隊はまだ入らない。やがて、艦爆の攻撃がほとんど終わったと思われた頃、ようやく『赤城』の一番機が発射点につきました。魚雷を発射すると、チャポン、と波紋が起こって、白い雷跡がツーッとのびてゆく。命中したら大きな水柱が上がります」

「加賀」戦闘機分隊長・志賀淑雄大尉(のち少佐)

艦爆隊が先に投弾したために、雷撃隊は対空砲火のなか、強襲ぎみの攻撃を余儀なくされた。

SPONSORED