2022.03.14

真珠湾攻撃に参加した隊員たちがこっそり明かした「本音」

決して「卑怯なだまし討ち」ではない

昭和16年(1941)12月8日(日本時間)。ハワイ、オアフ島の真珠湾に停泊するアメリカ太平洋艦隊に、日本海軍の航空母艦を飛び立った350機の攻撃機が襲いかかった。

わずか2時間たらずの攻撃で、ハワイにあった米艦隊と航空部隊を壊滅させるという大戦果を上げ、日本の航空部隊の優秀さを世界に示した。しかし、日本中が開戦の勝利に沸き立っていても、攻撃作戦に参加した搭乗員たちは、決して浮かれてはいなかった。

戦後50年以上を経てはじめて、彼ら搭乗員たちが語った本音とは……?

 

作戦参加搭乗員765名の8割が終戦までに戦死

「真珠湾攻撃の計画を聞かされたときは、私なんか作戦の中枢にいるわけではありませんから、ああ、いよいよやるのか、ずいぶん訓練やったからな、とそれだけでした」

と、本島自柳(もとじま・じりゅう)さんは静かに語り始めた。真珠湾攻撃60年を目前に控えた2001年初夏のことである。

本島さんは戦後、医師となり、改名して群馬県太田市で総合病院を営んでいたが、旧姓名「大淵珪三」、空母「赤城」乗組の中尉として、九九式艦上爆撃機(九九艦爆、2人乗りの急降下爆撃機)に搭乗、24歳のとき真珠湾攻撃に参加している。

「しかし、私はね、攻撃の前の晩寝るまで、『引返セ』の命令があると思っていました。日米交渉がうまくいったら引き返すこともあり得ると聞かされていたし、こんな簡単にアメリカ相手の大いくさを始めていいんだろうか、そういう感じは持っていましたからね」

「赤城」艦爆隊の大淵珪三中尉(のち少佐、戦後、本島自柳と改名)

昭和16年(1941)12月8日、日本海軍機動部隊によるハワイ・真珠湾への奇襲攻撃で大東亜戦争(太平洋戦争)の火ぶたが切られて、今年、令和4年(2022)12月8日で81年になる。

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