旅作家の歩りえこさんが、世界94カ国を旅していた頃に出会った人や現地の様子などを綴っているFRaUweb連載「世界94カ国で出会った男たち」。

連日、ロシアによる軍事侵攻を受けたウクライナの緊迫した状況が報じられていますが、今回はそのニュースを見るたびに歩さんが思い出す、12年前にウクライナを訪れたときのお話。ちょっとしたことをきっかけに出会った現地の青年との、短い時間ながらも思い出に残っているエピソードとともに、争いごとをなくすために心がけるべきことなどを綴っていただきました。

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戦争はなくならないのだろうか

ロシア軍がウクライナへの侵攻を開始し、2週間が過ぎた。停戦に向けた3回の交渉を行なったが、未だ双方の立場の隔たりは埋まらず、各地で戦闘が続いている。民間人の犠牲者も多数出ていると報じられ、胸が張り裂けるような思いだ。

民族の争い、資源や領土の争い、政治の争い、宗教の違いなどによる争いによって戦争は繰り返されている。私の父は生後わずか4日目で広島の原子爆弾投下の被爆者となった。オギャーと産声をあげたばかりで近くの街が一瞬で灰になったのだ。娘である私は被爆者二世となるが、今のところ原爆の影響と思われる健康被害は出ていない。

しかし、子供の頃、父に連れられて見た原爆資料館での胸をえぐられるような衝撃が未だに忘れられない。現在はあまりの衝撃の強さを懸念して展示されていないようだが、ケロイドのような状態になった蝋人形を見て、数日間食欲を失ってしまった。戦争における無数の理不尽な死は言葉では言い表せないほどの衝撃と深い悲しみを人々にもたらすが、それでもこの世界に戦争はなくならないのだろうか

民間人でも人それぞれの考え方による違いが、人と人との衝突を引き起こすのはよくあることだ。その考え方の違いを話し合いにより平和的に解決する人もいれば、カッとなって殴ってしまったり、暴力で解決しようとする人もいる。

これが国家間の紛争となると、多くの人々が安全を求めて避難しなければならなくなり、難民となって教育を受けるべき子供たちは教育を受けることすらできない。そして何の罪もない多くの人々が命を落としていく

「彼は今、ウクライナで無事だろうか……?」

ウクライナ侵攻のニュースが報じられるたびに、私はウクライナの首都キエフで出会ったウクライナ人男性タラス(仮名)を思い出す。

首都キエフに1051年に創建された「ペチェールシク大修道院」。観光の際はルールにより、地下墓地は頭にスカーフを巻かなければ女性は見学できなかった。写真提供/歩りえこ