「クソどうでもいい仕事」が世界を覆う一方、ケア労働でいじめが蔓延する歴史的構造

日本の労働現場がしんどい背景とは

誰も読まない書類を作成する、「簡素化」を謳って導入されたはずの使いづらいアプリやサイトに膨大な量の情報を何度も記入させられる、ダメだとわかっている商品を広める広告を作る……こうした無目的で虚偽に満ち、みじめさを感じる「クソどうでもいい仕事」を“ブルシット・ジョブ”と名指して分析したデヴィッド・グレーバーの同名書を解説した『ブルシット・ジョブの謎』。

労災申請のほぼ半数がいじめ(ハラスメント)によるものである可能性が高く、それも雇用者(経営者)から被雇用者(労働者)によるものではなく同僚からのいじめであり、職場のいじめで精神障害を発症した件数がこの11年で10倍になった……これらの衝撃の事実を明らかにした『大人のいじめ』。

仕事の質や種類は異なれど、現代の労働の苦しみを扱ったふたつの本の著者である酒井隆史氏(大阪府立大学教授)と、坂倉昇平氏(労働問題に取り組むNPO法人「POSSE」理事)に、そのしんどさの背景について語り合ってもらった。

(取材・構成:飯田一史

〔PHOTO〕iStock
 

ブルシット・ジョブとシット・ジョブの「共通の背景」

酒井 まず僕が書いた『ブルシット・ジョブの謎』と坂倉さんが書いた『大人のいじめ』で扱っている仕事の違いについて確認しておきましょう。

意味もない書類仕事が増えていくといったブルシット・ジョブは、階層的にいえば、主にミドルクラス、とりわけアッパーミドルの人たちの領域であるといえます。そして、そのブルシット・ジョブの論理が現在のすべての仕事の全域にも拡散しつつある、ということです。そこでは、市場原理が欺瞞的に作動している(「市場原理」なるものが、もともとそういう欺瞞的なものなのですが)、という話です。

一方『大人のいじめ』で中心的に扱われているのは保育や介護などのエッセンシャル・ワーク、グレーバーが言うところの「シット・ジョブ」ですよね。シット・ジョブは市場の論理が生(ナマ)のままのしかかってきて労働者が攻撃を受けている領域です。

坂倉 グレーバーは、ブルシット・ジョブをさせられている労働者と、真に社会的に生産的な仕事をしながら低待遇のエッセンシャル・ワーカーとの間で敵対関係が生まれていると言います。

その一方で、日本のケア労働の世界では、シット・ジョブに従事する同僚間で、市場の論理よりもケアの質を重視する人に対する、いじめやハラスメントが蔓延しているというのが『大人のいじめ』の趣旨です。

対照的に見えるこの二つの現象ですが、通底する点がありますよね。『ブルシット・ジョブの謎』でも書かれているとおり、他者の助けになり、社会的に有用な労働をすることが反感を持たれ、苦痛を感じる労働をすることが評価される社会になってしまっていることです。その背景には、いまや社会に貢献する労働が市場の論理で測られるようになり、人々がかつて有していた「働くことの自律性」が剥奪されていることがあります。

酒井 そうですね。20世紀以前の仕事については、マルクス主義的言葉遣いをすれば、いまだ、労働過程を支配するのは働く者自身であることが多かった。つまり、人間の創意工夫の余地が、その大小はあれかなりあった。たとえば同じ傘づくりをしている職人であっても、一人ひとり仕事のスタイルも労働時間もまったく異なっていた。

ところが20世紀に入ってフレドリック・テイラーが作業手順の標準化と分業を促す科学的管理法を生み出し、それを利用したフォーディズムが浸透すると、効率性向上の名の下に、仕事の仕方もいつ休んでいつ働くのかに関しても、みんな同じようなものにさせられていき、労働者の自律性が奪われていきました。

もちろん、そのような労働過程から労働者の主体性が剥奪されていく過程は、初期には「ラッダイト」と呼ばれる機械の打ち壊しというかたちでもあらわれ、それ以降も激しい抵抗にあいました。

労働過程における労働者自身の主体性は、資本家にとっては厄介なものでした。どんなに搾取されていても、仕事場の主人は労働者です。労働者もそれを利用してあの手この手で、搾取や収奪に対抗しました。

その息の根を止めたのが、この20世紀の科学的管理法の浸透ですが、それがなぜ可能になったかというと、ものすごく簡単にいうと給与、あるいは労働条件の上昇です。つまり、生産で失った主導権を、消費の領域で(個人化/家族化)されたかたちで確保した。これをフォーディズム的妥協といいます。それを可能にさせたのが、当時の強力だった労働運動です。

ところがその後、80年代にネオリベラリズムが台頭します。ネオリベラリズムは、こうしたフォーディズム的妥協を掘り崩し、消費の領域での不安定化を通して、労働過程における労働者の従属をさらに深めていきました。ときに労働者は自律したみかけを与えられます。あたかも個人事業主のように見立てられながら、それまで獲得されてきた社会的保障が削減されていきました。さらに「競争促進」を名目に労働者たちはあれもこれもと評価にさらされ、監視され、報告・点検に参加させられるようになり、ペーパーワークのはてしない増大に対応させられるようになった――これがグレーバーが説く、ブルシット・ジョブの背景にある動きですね。

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