同性婚を法的に認めないのは憲法違反だとして、3年前から、日本では複数の裁判所で同性婚の実現を求める訴訟、通称「同性婚訴訟」が行われている。昨年3月、札幌地裁では違憲という判断が示されたが、今年2月9日に東京地裁で行われた裁判では国側が差別的な主張を展開し大きな批判を集めた。このニュースを見た、ゲイであるライターの富岡すばるさんが感じたこととは。

失望というのは、きっとこんな心境のことを言うのだろう。
それは先月、同じ性別である者同士の結婚を法律上認めるよう、性的マイノリティの原告が国を訴えていた裁判で、国側が「婚姻制度の目的は自然生殖可能性のある関係性の保護」「同性カップルは異性カップルと同等の社会的承認を得ていないから同性婚が認められなくても問題ない」といった主張を展開しているというニュースを目にした際のこと。しばらく言葉が見つからなかった。

同性パートナーシップ制度が東京都の渋谷区と世田谷区に導入されてから7年、同制度が全国150以上の自治体に広がりを見せているなか、国が改めてこのような主張を堂々と展開していることに、この国で暮らすゲイである僕は失望感とともにやり場のない怒りを覚えた。

異性カップルに対する侮辱でもある

そもそも、子どもを作ることができない人でも、異性同士であれば結婚は可能である。そして当然ながら、仮に「生殖の可能性がある」夫婦が子どもを作らなかったとしても、それによって結婚の資格を剥奪されることもない。

それなのに、同性のカップルだけが「生殖の可能性がない」という理由で結婚を許されないのは矛盾しているのではないか。また、異性カップルには許される結婚が同性カップルには認められない理由を「生殖の可能性の有無」に求めた場合、それは同性カップルに対して差別的であるだけでなく、異性カップルに対しても侮辱的である。異性カップルは決して子どもを作るためだけに存在しているわけではないからだ。

〔PHOTO〕iStock
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同性を愛する人間のことが理解できないというのは仕方がない。僕だって異性愛者の感覚は理解できない。ただ、そういう人間も当たり前にいて、この社会で生きているのだという事実は受け止めてほしい。求めているのは特権ではなく、マジョリティの人々が手にしているのと同じ権利にすぎないのだから。

今回、国側の主張を目にした際、僕はゲイとして怒りを感じたのと同時に、もうひとつ別の立場からも激しい憤りを感じた。それは、「親に見捨てられた者」として、だ。