2022.02.26

「B-29」に体当たりをした者も…撃墜確実12機、撃破31機の「大戦果」を挙げた三五二空の隊員たち

10数年前の平成中期まで、毎年11月21日に靖国神社に集う男たちがいた。太平洋戦争末期、米陸軍の大型爆撃機ボーイングB-29の空襲から九州を守るために編成された第三五二海軍航空隊の元隊員たちである。やがて高齢化で集いは消滅したが、筆者は彼らから、この日に集う理由とともに、烈しかった空の戦いの模様を聞きとっていた。それは、「零戦」「雷電」(らいでん)という戦闘機の名称が一般国民に知られるきっかけともなる戦いだった。

<【前編】「59機」の“B-29”を相手に、撃墜できたのはわずか「1機」…航空隊に向けられた“市民の怒り”>に引き続き、後編となる本稿ではふたたび襲来したB-29の大編隊に対し、体当たり攻撃もやむなしの訓示を受けた隊員たちの運命を語る。

ふたたびB-29の大編隊が襲来

そして11月21日――。

早朝、B-29の大編隊が成都を発進、九州方面に向かうとの情報を得て、三五二空は8時20分、前路哨戒のため月光8機を発進させた。次いで9時5分、神崎大尉の率いる零戦33機、杉崎直大尉の率いる雷電16機が大村基地を離陸、4機(一部は5機または3機)の区隊に分かれてB-29を待ち受ける。この日、大村上空は高度6000メートルに密雲があり、地上には風速18メートルの強風が吹いていた。

 

植松眞衛大尉(11月当時中尉)の回想。

「私は雷電に乗って発進しました。今日こそは、という気持ちはありましたね。B-29は速くて追いかけてもなかなか追いつかない。そこで爆撃コースを予測して網を張ったんです。離陸から約30分後、7機から12機の編隊に分かれて侵入してくるB-29を長崎西方、高度7500メートル付近で捕捉、すぐさま攻撃を加えました。

この日は全機三号爆弾(空中爆弾)を積んで出たんですが、空中で爆発してタコの脚のように広がる黄燐弾の弾幕は敵機を攪乱し、編隊を崩すのに有効でした。私は1機のB-29に狙いを定めて前上方から20ミリ機銃で攻撃、機体を引き起こして二撃めは三号爆弾で攻撃、島原上空で三撃めをかけましたが、効果のほどはわかりませんでした」

三五二空分隊長・植松眞衛大尉(左)。飛行隊長戦死後は三五二空を率い、沖縄戦に参加した

密雲のため爆撃照準ができなかったせいか、あるいは三号爆弾による攪乱のためか、B-29の高度は徐々に下がってきた。植松中尉と同じく雷電で出撃した栗栖幸雄飛長は、

「北九州上空、高度4000メートルで敵6機編隊を発見、斜め前方から攻撃をかけることとし、操縦桿のケッチを合わせ、敵編隊の一番機に照準を合わせつつ接敵、照準器からはみ出るまで接近すると同時に主翼の20ミリ機銃4挺をいっせいに発射しました。すぐさま敵機の反撃を受け、目の前に真っ赤な銃弾が吹雪のように飛んでくる。さすがに恐ろしさのあまり息が詰まる思いでした」

と振り返る。来栖機はB-29の12.7ミリ機銃弾にプロペラを撃ち抜かれ、陸軍の目達原飛行場に不時着した。

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