2022.02.26
# 介護

松村雄基「僕は“幸運な”ヤングケアラーだった」…高校時代から20年間「祖母を介護」しても後悔がないワケ

大人に代わって高齢の祖父母や、病気や障害をもつ家族の世話、介護、家事を担うヤングケアラーは、中高生の20人に1人いるともいわれ社会問題になっている。彼らはどんな状況に置かれ、何を思い、どんな支援が必要なのか。

考えるヒントとして、高校時代に祖母の介護をしながら、学校に通い芸能活動をしていた俳優・松村雄基さん(58)に、当時を振り返りつつ今の若者への力強いメッセージを語ってもらった。

撮影:山口比佐夫

「大正生まれの厳しい祖母」との二人暮らし

物心がついたときから、大正生まれの、父方の祖母と2人暮らしでした。両親は遠くで仕事をしているとずっと聞かされていたので、何かのきっかけで数回会ったことはありますが、「ママ」と呼んでいた人は実の母親ではなかったことを後に知りました。父親が僕の実の母親となぜ別れたのかなど詳しい事情は聞いたことがなく、僕は実母とは会ったことがありません。

そんな複雑な生い立ちではありますが、幼い頃は「両親は一緒に住んでいないだけだ」と思っていたし、祖母にべったり甘えて一緒に寝て、一緒にお風呂に入っていたので寂しくはありませんでした。生計は祖母が詩吟を教えていてその月謝と、叔父叔母からの支援もあったと思います。

住んでいたのは、文京区大塚の2K風呂なしの都営アパート。裕福ではなかったのでしょうが、新聞配達などのアルバイトはしたことがありません。家で皿洗いや洗濯の手伝いをしていたくらい。食べるものがなくて腹をすかせていた、という記憶もありません。

祖母は甘えさせてくれる一方、厳しい人でした。両親がいないことで陰口を叩かれないようにと、とくに礼儀作法や言葉遣いには厳しかった。食事は時代劇で見る武士のように、ちゃぶ台で、背筋を伸ばして正座して黙食。友達を呼び捨てにすると怒られるので、きちんと「〇〇君」と呼んでいました。下町の小学生なのに(笑い)。

 

熱帯魚のミノカサゴを飼いたくて、デパートで「これ買って~」とすごい大声でぐずりまくったときも買ってくれませんでした。置いていかれて、結局1人で泣きながらトボトボ帰宅したのを覚えています。

反抗期は口をきかない、という程度。中学時代はバイクだ、ケンカだ、と校内暴力全盛の時代でしたが、やはり高齢の祖母に遠慮があり「おばあちゃんをひどく困らせてはいけない」と子ども心に思っていました。小学校4年生から詩吟と、詩吟に合わせて舞う剣舞を習わされていた影響もあったと思います。武道の稽古事のおかげで、年長者を尊ぶという意識が根付いていましたから。

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