心に刻まれる苦しさ
この時期の晋は、ふだんから「何もできない」ことを気にしていました。小さな悪口にみえるかもしれませんが、本人にとっては「無能」の烙印(らくいん)を押されたようなもので、何にもまして屈辱的だったのではないでしょうか。
実際、デイでの一件は、彼の中でずっと尾を引いていたのです。ある夜、布団に入った晋が言います。
「僕は何もできない」
「何もできないのが病人じゃない? でも晋さんは散歩にも行ける。電車にも乗れる。歌も歌えるじゃない」
「ありがとう」
ようやく眠りに入るのでした。
また、こんなこともありました。デイをやめた少しあと、私が発熱して一日家で寝ていたことがありました。晋がそばに来て、おろおろしながら尋ねます。
「誰かに何か、言われたんじゃないの」
「誰も何も言わないよ」
私はあわてて打ち消しましたが、内心、驚きでいっぱいでした。
晋は、かつての自分と今の私を重ねていたのです。私が寝込んでいるのは、誰かに酷いことを言われて傷ついたからではないか――そう推測していたのです。
その時の彼にできる、最大限のお見舞いだったに違いありません。人を思いやる心は、損なわれていませんでした。
認知症は物忘れの病気だといわれます。確かに、具体的なことは時間とともに忘れてしまうのでしょう。でも、苦しさは深く心に刻みこまれるのだと痛感した出来事でした。

「ちがうんだよ」と騒いでしまう理由
それでも、しばらくすると晋は、また別のデイに通うようになりました。家で退屈そうにしているのを見かねて、私がすすめたのです。もちろん、私自身にも、骨休めしたいという気持ちがありました。
2つめのデイ。ここでも晋は、当初ごきげんで通っていました。職員からは「先生」と呼ばれ、ほかの利用者と歌ったり踊ったり、楽しめていたようです。
「僕って面白いでしょ」
これが当時の、彼の口癖でした。しかし残念ですが、いい時間は長く続きません。