若年性アルツハイマーを発症した元東大教授が、デイサービスに入って経験したこと

失語の当事者が語った胸の内とは
若年性アルツハイマー病で、東京大学を早期退官した若井晋。沖縄での療養などを経て病を公表し、それがきっかけで「認知症当事者としての講演」という生きがいを見つけた彼だったが、症状の悪化からついに講演は不可能となった。妻とともに日常に戻った彼は、介護保険サービスを利用してデイサービスに通い始める。そこで明らかになった、認知症の当事者だからこその苦悩とは? 近刊『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子・著、講談社)よりお届けする。

弱っていく体、澄んでいく心

講演行脚をやめる少し前から、晋(すすむ)の体は目に見えて衰えていき、それにつれて私たちの生活も変化していきました。

■2010年

この年に介護保険を使い始めたことはすでに書きました。家で私たちは畳に布団を敷いて寝ていましたが、晋が立ち上がるのが難しくなったのがこの頃です。

幸い、ケアマネジャーさんが介護ベッドの導入を提案してくれたおかげで、解決することができました。

■2012年

講演を通じて偶然知り合った医師の助言をきっかけに、デイサービス(デイ)に通い始めました(後で書く通り、うまくなじめず、いくつかのデイを転々とするのですが)。

この頃から、入浴に危険を感じるようになりました。滑りやすいタイル張りの浴室で、晋の大きな体を支えられるか、それだけの力が私に残っているか、不安になったのです。

ケアマネジャーさんに相談したところ、さっそく屈強なヘルパーさんを紹介してもらうことができ、見守りと介助を受けられるようになりました。

■2015年

晋の要介護度は、最重度の「5」に引き上げられました。

そして、この年のある日、ついに晋が立ち上がれなくなります。

以前から足が上がりにくくなり、車にも乗れず、外出が減っていました。

ソファに座っても、自分の力だけでは立ち上がることができません。それでも、私が晋の前に立ち、両足で彼の足をしっかり踏んで固定し、手を握って全体重をかけて引っ張り上げれば、まだ立たせることができたのです。

しかし2015年のある冬の日、ついに手伝っても立てなくなりました。私が引っ張り上げるのに合わせて、晋も立とうとします。でも足に力が入らないのか、くにゃ、となってしまうのです。

 

それまでの「立てない」とは、明らかに様子が違いました。そこで私はまず、彼をなんとか座布団の上に座らせ、その座布団を引っ張って寝室へ移動し、ベッドの横に敷いた布団に彼を転がすように寝かせました。

私は力自慢ではありませんし、晋とはだいぶ体格差があるのですが、これが「火事場の……」というものでしょうか。

ともかく、翌朝ケアマネジャーさんに連絡をとると、さっそく訪問看護師が3人、我が家に飛んできて、晋を布団からベッドに移してくれました。

夏には誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)も経験し、1ヵ月半にわたって入院。

晋にとっては多難な年でした。

■2016年

肺炎で再び入院。しかし前回の入院で、晋には病院での生活が負担になると痛感していたので、自宅での療養を選びました。抗生剤が効き前後10日ほどでデイサービスに通えるくらい回復したのは幸いでした。

こうして晋は、ベッド中心の生活になっていきました。いわゆる「寝たきり」です。

寝たきりになった若井晋(写真提供:若井克子)

言葉を失い、寝たきりになった晋。

生きていて、幸せなのでしょうか。

尋ねてみたいと思うこともありますが、聞くまでもない、そうも感じます。

南向きの部屋で寝ている彼のもとに、朝日がガラス戸越しに射す。

そのとき彼の目は、重荷をすべて下ろしたかのように澄み切って、平穏に満ちています。その幸せそうな顔を見ていると、問うこと自体が無意味にも思えるのです。

ただ、この静けさに至るまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした。

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