【第1回】54歳で「若年性アルツハイマー」になった東大教授が書き残していた「日記の中身」
【第2回】手術上手な脳外科医が一転、ネクタイが結べず…東大教授を襲った「若年性アルツハイマー」の現実
【第3回】文字が書けない…54歳で「若年性アルツハイマー」になった東大教授の苦悩
【第4回】失意の元・東大教授は、なぜ「若年性アルツハイマー」を公表したのか?
【第5回】「ぼくは、エイリアン」54歳で若年性アルツハイマーになった東大教授が見た世界
【第6回】元・東大教授が「若年性アルツハイマー」になって見つけた「意外な楽しみ」
ともに歩むことの難しさ
晋がアルツハイマー病と診断されてから、およそ5年が過ぎたことから、お手洗いの失敗も起こるようになりました。ある講演の帰り、ふと気づくと、彼のズボンの前がぐっしょりと濡れていたこともあります。
最初に尿意を感じてから我慢できなくなるまでには、相応の時間があるものでしょう。ところが晋は、どうも尿意を感じにくくなっているようでした。気づいたときには「出る直前」になっている――そんな感じらしいのです。
「わからない」
本人にそう言われたこともあります。家の中にいても、なかなかトイレにたどりつけなくなっていました。

うまくできなかったとき、彼はいつも、申し訳なさそうに立ち尽くしていました。
寒い時期に失敗が続くと、風邪をひくかもしれない。そう考えた私は、思い切って彼に紙パンツをすすめます。拒否されるものとばかり思っていたのですが、むしろ喜んで、素直にはいていたのでこちらが驚いてしまいました。
〈もう失敗しなくてすむ〉
そんな安心感があったのでしょうか。
晋が講演や取材を通じて注目を集めるようになったこと、それ自体は、悪いことではなかったはず、でした。
しかし、物事にいい面があれば、悪い面も必ずついてくるようです。
講演活動の光と影
2010年10月のことだったでしょうか。ひとりで散歩に出かけた晋が、肩を落として帰ってきました。
「どうしたの?」
声をかけると、なんでも小学校帰りの子どもたちに「バカ」と言われたそうです。
子ども好きな晋は、散歩に出かけると、よく、
「元気かい?」
「歳いくつ?」
と声をかけたりしていました。きっと昔、まだ現役の医師だったころ、診察で子どもにそう語りかけていたのでしょう。
ここからは私の推測ですが、なれなれしく話しかける様子が、子どもには奇異に映ったのではないでしょうか。
その年の8月、晋は縁あってNHK「おはよう日本」に出演していました。認知症の当事者として短いコメントが紹介されただけでしたが、それで近所に顔を知られるようになったことも影響していたはずです。
いずれにせよ、本人は相当ショックだったようで、以来、道端で子どもを見かけると避けるようになってしまいました。
こうした出来事や晋の衰えもあり、私はだんだん、講演に消極的な気持ちになっていきました。