2022.02.26

「59機」の“B-29”を相手に、撃墜できたのはわずか「1機」…航空隊に向けられた“市民の怒り”

10数年前の平成中期まで、毎年11月21日に靖国神社に集う男たちがいた。太平洋戦争末期、米陸軍の大型爆撃機ボーイングB-29の空襲から九州を守るために編成された第三五二海軍航空隊の元隊員たちである。やがて高齢化で集いは消滅したが、筆者は彼らから、この日に集う理由とともに、烈しかった空の戦いの模様を聞きとっていた。それは、「零戦」「雷電」(らいでん)という戦闘機の名称が一般国民に知られるきっかけともなる戦いだった。

2003年11月21日、靖国神社に集った三五二空の元隊員たち。前列左から3人め植松眞衛元大尉、4人め佐伯義道元少尉

B-29相手の大戦果

昭和19(1944)年11月23日、新聞は一面トップで、2日前の11月21日、中国四川省の成都から九州に来襲した米陸軍の大型爆撃機B-29を、日本海軍の戦闘機隊が邀撃(ようげき)し、大戦果を挙げたというニュースを報じた。

朝日新聞東京本社版の一面には〈九州来襲B29を捕捉 大陸で十三機屠る 一機撃墜、十七機に命中彈 邀撃戰果更に擴大〉との大見出しが踊り、21日、九州を空襲したB-29を中国上空でさらに追撃し、戦果を拡大したことが主眼になっているが、記事本文の主題はこの日の九州上空での戦果である。

〈「零戰」「雷電」肉薄攻撃 海鷲戰闘機に凱歌〉との見出しに続く記事では、撃墜確実10機をふくめ、計47機の撃墜破という「大戦果」が記され、さらに〈覆面脱いだ「零戰」「雷電」〉の見出しのもと、このとき初めてその名が公表された海軍の戦闘機「零戦」「雷電」についての解説がつけられている。

昭和19年11月23日の朝日新聞一面。21日の空襲と空戦の模様が報じられている
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実戦投入後まだ日の浅かった「雷電」はともかく、「零戦」については、4年以上前の昭和15(1940)年9月13日、蒋介石率いる中華民国が首都を置いた重慶上空で、中華民国空軍のソ連製戦闘機27機を撃墜(日本側記録。中国側記録では損失13機、被弾損傷11機)、損失ゼロの一方的勝利で華々しくデビューを飾って以来、その姿は新聞やニュース映画を通じてすでに国民に広く知られている。にもかかわらずその名称は、「海軍新鋭戦闘機」などと報じられるだけで、驚くべきことにこの日まで一般には秘匿されてきたのだ。

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