2022.03.07

「マンガ王国」日本に迫る「韓国産マンガ表現」の熱風…『俺レベ』制作会社日本支社長が語る日韓マンガ最新事情

飯田 一史 プロフィール

2000年代に韓国人マンガ家が日本のマンガ雑誌に台頭してきた背景

――韓国人作家のマンガが日本で刊行されたのは70年代まで遡るようですが、韓国のマンガ家が日本向けにオリジナル作品を描いて出版された最初の例(とあとがきに書いてあるの)が88年から「モーニング」で連載された画・李戴学(イ・ジェハク)、作・朴史烈(パク・サヨル)『大血河』。そのすぐあと台湾の鄭問(チェン・ウェン)の『東周英雄伝』がヒットしたことで台湾だけでなく韓国の作家も起用する動きがいくつかあったようですが、ぐっと増えるのは2000年代以降ですね。

いまLINEマンガのCCOを務める尹仁完(ユン・インワン)さん原作、梁慶一(ヤン・ギョンイル)さん作画で2001年には「サンデーGX」で『新暗行御史』が始まる。韓国で描かれたマンガで日本でもヒットしたものとしては新書刊から2006年より刊行されたパク・ソヒ『らぶきょん』(ドラマ『宮(クン) Princess Hours』の原作)があり、また、当時ウェブトゥーンとして韓国で一世を風靡したカン・プルの『純情漫画』が『純情物語』というタイトルで2005年から双葉社より刊行されています。

 当時なぜ韓国マンガ(家)が日本で浮上してきたのか。日本のマンガ雑誌の売上は1996、7年をピークに下落していきます。そこで業界内で危機意識が高まり、たとえばある大手出版社は「ひとつの100万部雑誌をめざすのではなく、多品種少量生産で10万部の雑誌を10個作る」と戦略転換していく。ほかの会社でもマンガ雑誌がどんどん作られていきました。

でも簡単に作家は増えません。そこで海外に目を向けた。エンターブレイン(現KADOKAWA)の「コミックビーム」が韓国で「作画の神」と呼ばれた大巨匠の梁慶一さんに声をかけ、平井和正原作の『死霊狩り(ゾンビハンター)』を描いた1998年が、「日本式のマンガを韓国から作家を連れてきて描く」ことが本格的に始まった年です。梁さんによって韓国の作家の画力の高さが証明されたことで『新暗行御史』が生まれ、そのヒットがさらに後続作家・作品につながっていく。

2004年に創刊された「ヤングガンガン」の狙いは「少年誌を読んで育った人たちのための青年誌を作る」でしたが、そこに『シティーハンター』や『北斗の拳』『スラムダンク』『AKIRA』の影響を受けて「たくさん描き込むのが良い作画だ」という思想を持った韓国の作家がハマった。当時の日本ではガッツリ描き込むことは負担が大きいために作家から敬遠される雰囲気もあったので、うまく棲み分けることもできた。

 

H 当時はマンガの作画環境がアナログからデジタルに移行していく端境期でもあって、だから作家が韓国に住んだままでも日本の雑誌に連載することが可能になった。アナログだったら国際郵便で送ったりとか、物理的に時間がかかりますから。

 梁さんは『死霊狩り』のときは手描きでしたから、仁川空港にスタッフを全員集めて作画して原稿を飛行機で送っていたという伝説があります(笑)。

それで、そういう流れのなかで「ヤングガンガン」の創刊準備号に僕がコーディネートした原作・林達永(イム・ダリョン)、作画・朴晟佑という座組で『黒神』の読み切りが載るんですが――雑誌の発売後にHさんから「大変です。編集部まで来てください」と電話がかかってきた。なんだろうと思いながら赴くと「『黒神』の読者アンケート……1位です」と。泣きましたね、僕は。

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