硫黄島で悲劇的な死を遂げた日本人金メダリスト・バロン西の伝説が凄まじすぎる

最後の証言者が語る【前編】
2年連続のオリンピックイヤーである。2021年の東京五輪では、日本選手が馬術の個人種目で79年振りに入賞した。その際、引き合いに出されたのが1932年のロサンゼルス大会の馬術障害飛越で金メダルを手にした西竹一(1902〜45年)である。

男爵家出身の陸軍騎兵将校。世界から「バロン西」とたたえられた男は、玉砕の島で生涯を閉じた。「西さんがいなければ、私はこの世にはいなかった」と話すのは、義理の甥に当たる医師、松本生(すすむ)さん(85歳)だ。生前の西を知る最後の証言者である。不世出のアスリートの素顔が浮かび上がる。

昭和7年の快挙

「天晴れ西中尉/正に天空を行く/花々し若武者の神技」

1932(昭和7)年8月15日発行の「東京日日新聞」夕刊1面は、ロサンゼルス大会最終日の西竹一の金メダル獲得をそう報じた。西洋社会、それも上流階級のスポーツとされた馬術競技で、東洋人の優勝は快挙とされ、ロサンゼルス市議会は名誉市民の称号を贈った。

騎乗して飛翔する西竹一(松本生さん提供)
 

愛馬は西がイタリアで買い求めたウラヌス(天王星)号。余談ながら、競技後に西が「We won.」と語った言葉は「私とウラヌス号が勝った」と受け止められ、米国内では話題となったが、日本では「日本人が勝った」と解釈された。

西の伝記『オリンポスの使徒』(1984年)を執筆した作家、大野芳さんはこう評する。

「男爵家出身の西は、英語が堪能で米社交界では『バロン西』の名で脚光を浴びました。ハリウッドの俳優とも親交深め、米国内でくすぶっていた反日感情を和らげる民間外交の役割を果たんです。一方で、育ちの良さゆえに奔放で、軍人としては規格外の人物だったようです」

米国製の高級車を乗り回すなど遊びも派手だった。エルメスの乗馬靴を愛用し、坊主頭が当たり前の陸軍軍人のなかで頭髪にも気を配るなど洒落者だった。

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