木村伊兵衛写真賞のみならず、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ、パリ市芸術大賞と日仏で多くの賞を受賞した写真家・田原桂一さん。
芸術の都・パリでも愛され、尊敬された日本を代表する写真家だ。
しかしその田原さんが、まるで奇跡のような恋愛物語を生き抜いていたことは、ほとんど知られていなかった。
しかもそれは、梨園の妻との「不倫」と言われるものだったのだ――。

箱根の別宅のアトリエで作品を制作する田原桂一さん
パリでの撮影中の田原氏と側で見守る博子さん

今回、林真理子さんが本人への取材をもとに、当事者ふたりを実名で描いた小説『奇跡』を上梓した。 1995年には炭鉱王の妻で美貌の歌人・柳原白蓮の道ならぬ恋を描いた、『白蓮れんれん』で柴田錬三郎賞を受賞、1996年には、人妻の大胆な恋愛を描き、ドラマ化された『不機嫌な果実』がベストセラーとなる。 さらに1998年に妻・夫・娘・愛人たちと様々な視点から不倫を描いた連作集『みんなの秘密』で吉川英治文学賞を受賞した。 林さんはなぜ2022年の今、この物語を描いたのか。 そしてなぜあえて実名で描くことを選んだのか。 林さんご自身に寄せていただいた。

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まさにこの世の「奇跡」

このたび三十八年ぶりの書きおろしで『奇跡』を上梓することになった。

ジャンルを問われれば、事実に基づく恋愛小説ということになる。
出す前からひどく緊張して、編集者にあれこれ問い合わせる私がいた。こんなことはデビュー作以来である。

というのも、この本が歌舞伎界という、非常にややこしい世界をバックにしているからだ。今までも歌舞伎の役者さんたちが出てくる小説はあった。が、そのほとんどが芸にまつわるものだ。しかしこの本は違う。高名な歌舞伎の家の女性、梨園の妻といわれる人が、実名を出して自分の道ならぬ恋を語っているのだ。とありようによっては、スキャンダル本、暴露ものととられる恐れがある。

が、読んでみるとわかるが、この本は最後まで清澄なイメージで成り立っているはずだ。読後の感動は透明感に充ちていると確信している。

これは私の作家としての筆運びもあると、多少自負しているが、それよりも当事者によるものが大きい。主人公の田原博子さんには、不倫などという言葉を寄せつけない、凛とした強さがあり、自信に溢れている。

田原桂一さんと博子さん
 

「僕たちは出会ってしまったんだ」

二人が出会った頃、博子さんには歌舞伎役者の夫と、三歳の男の子が、そして相手にも離婚協議中の妻がいた。しかし彼は何度も言ったという。

「僕たちは出会ってしまったんだ」

この世には結ばれるべくして結ばれる二人がいる。たとえどちらかが結婚していたり、子どもがいたとしても、それはたまたまというもの。先にそういうことがあったというだけなのだ。運命によって結びつく二人は、この世に存在するだろう。
「僕たちは出会ってしまったんだ」

『奇跡』ラストシーンの写真
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この本を読むとたいていの女性は泣く。男性もまれだけれど泣く。そしてこう言うのだ。
「自分も人生に一度、こんなことを言ってもらいたかった。こんな恋をしてみたかった」
と。

私も同感であるが、まずそんなことは起こらなかっただろう。所詮私は「恋の庶民」である。他の多くの人たちと同じように。

しかし世の中には「恋の貴族」という人たちがいて、絢爛たる世界を垣間見せてくれるのだ。田原桂一・博子夫妻はまさしく貴族中の貴族である。

二人が初めて出会ったのは、京都の宵山祭りの夜である。白い夏の着物姿の博子さんに、桂一氏はひと目で心を奪われてしまうのだ。その後、京都の教会のチャペルで、二人は再会する。

やがて舞台はパリになる。田原桂一氏はパリを拠点とする世界的写真家だったからだ。

多くの人に尋ねられた。
「これって本当のことなの? こんなすごい世界があるの」
すべて事実である。

個展のオープニングパーティー。パリにて
 

「幼稚園のママ友」だった

私が田原博子さんと出会ったのは、今から二十年前のことだ。幼稚園に子どもを通わせる”ママ友”であった。
梨園の妻らしく、上品な美しい人。その彼女が人知れず恋に苦しんでいたのは、当時は知るよしもなかった。

博子さんは後に私に言ったものだ。
「私ほど愛された女はいないと思う。私たちほど愛し合った男と女はいないと思う」
そう聞いて、心がうずかない作家はいないと思う。私は彼女に言った。
「いつかあなたたちの物語を書かせてほしい」と。
が、博子さんは慎重だった。
「息子がいるからうかつなことは出来ない。知られてはいけないことが、私たちは多過ぎるの」
歌舞伎界のスーパースターである舅に迷惑がかかったら、大変なことになってしまうとも。

田原桂一さんと博子さんが晴れて夫婦となったのは、出会ってから11年後のことだった
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しかし二年前、コロナ禍という災が世界を覆った時だ。彼女からこう切り出してくれた。
「人はいつ死ぬかわからない。私だって。どうか田原と私の物語を書いて欲しい」
秘密を守るために、連載はやめて書きおろしにしたのはそのためだ。二人の編集者が加わったが、何の本をつくっているか社内でも内緒であった。

こうして『奇跡』は、ヴェールを脱ぐことになった。バレンタインの日を発売日と決めたのは、この本の誕生にいかにもふさわしいと思ったからだ。
今、濃密な人生、自分とは違う人生をおくる人を叩く傾向がある。私はそういう薄っぺらい風潮に挑戦状を叩きつける気概でこの本を世におくる。

これほど愛し合った男と女がいるのだ。
自分の本なのに読むたびに泣いた。泣きながら思った。
まだ世界は、美しいもので満たされていると。

出会ってからずっと、心から愛し合っていたふたり。入籍後、共に暮らせたのは3年間だった
奇跡
世界をまたにかけて活躍する写真家・田原桂一が「僕たちは出会ってしまったんだ」と語った博子。博子は梨園の人気役者の家に嫁いだ人妻であり、歌舞伎俳優の母だった――。博子が20歳以上年上の桂一と出会ってから14年。梨園のこと、家族のこと、子どものことを真剣に考えながら、二人は愛を貫いた。「不倫」とひとくくりにしていいのか。愛とはなにかを考えさせられる純愛小説である。
林 真理子(はやし まりこ)
1954年山梨県生まれ。日本大学芸術学部卒。’82年エッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』が大ベストセラーに。’86年『最終便に間に合えば/京都まで』で第94回直木賞を受賞。’95年『白蓮れんれん』で第8回柴田錬三郎賞、’98年『みんなの秘密』で第32回吉川英治文学賞、2013年『アスクレピオスの愛人』で、第20回島清恋愛文学賞、2020年第68回菊池寛賞を受賞。‘18年には紫綬褒章を受章をした。小説のみならず、「週刊文春」や「an・an」の長期連載エッセイでも変わらぬ人気を誇っている
田原桂一(たはら・けいいち)
1951年京都府生まれ。‘71年に渡仏し、ヨーロッパの刺すような鋭い光に衝撃を受け、写真家として活動を始める。以降、2006年までパリを拠点とし、光をテーマに制作を行った。’77年に「窓」シリーズがアルル国際写真フェスティバル大賞を受賞し、一躍世界的な脚光を浴びると、国内外で数多くの展覧会を開催。その後、木村伊兵衛写真賞、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ、パリ市芸術大賞など受賞多数。代表作は、ルーブル美術館の彫刻を題材にした「トルソー」シリーズ。表現方法は写真にとどまらず、彫刻や映像、インスタレーションなど、様々な領域にわたった。カルティエ、ドン・ペリニヨンなどのブランディングや、ダンサー・田中泯とのフォトセッション、テレビ朝日『白の美術館』でのポートレート撮影など、死の直前まで多彩な活躍を続ける。
2017年6月6日、肺がんのため65歳で他界。