2022.02.18
# ドライブ・マイ・カー # 映画

『ドライブ・マイ・カー』が「自分の傷つきに気づきにくい男性」に与えてくれる“大切なヒント”

杉田 俊介 プロフィール

日々の適切なセルフケアの訓練や練習をしておかないと、セルフネグレクト状態に陥ったり、溜め込まれた感情を暴発させたりして、他者や自分への暴力的な攻撃に転じてしまう。

これを、男性の「爆発」問題、と呼んでもいいかもしれない。つまり、日頃から我慢して我慢して、溜めて溜めて、一気に暴力として爆発する、ということ。

もしかしたらそれは、我慢して我慢して、耐えて耐えて、一気にホンネを「告白」する、というある種の「告白主義」とも裏表なのかもしれない。とすれば、日頃の関係の中で、感情や不安を小出しにしたり、部分的にガス抜きできたりするような、浅くも深くもない、そうした関係性が大切なのかもしれない。男性性をこまめにメンテナンスできること。全てを一気に告白して全面的に受け入れてもらうのではなく、傷の部分的=小出し的なシェアリング(痛み分け)が大切なのかもしれない。

人前で涙を見せられること。自分の弱さを受け入れられること。「男らしく」我慢なんかせずに、嫌なものは嫌だ、つらいものはつらい、はっきり他者の前で口にできること。自分より弱い立場の人間に感情をぶつけるより前に、自分自身の傷ついた声、内なる感情に繊細に耳をすませられること、そのことが大事である。

 

「ホンネ」と「本心」の違い

ところで、『ドライブ・マイ・カー』は、男性の「タテマエとホンネ」をめぐる物語としても読み解ける。

演出家であり、舞台俳優でもある家福にとって、妻との関係はある意味で、日常的に「良き夫」を演じ続けることでもあった。タテマエとしての「良き夫」の仮面をかぶって、妻と暮らすことはできても、自分の中の本当の気持ち(妻の浮気、不倫によって傷付いている自分の心)を妻と分かち合ったり、彼女の非を問い質したりすることはできなかったのである。

ここで重要なのは、「ホンネ」と「本心」は微妙に異なる、ということだろう。たとえば、脳性マヒの当事者で小児科医の熊谷晋一郎は、ホンネと本心を分けて考えよう、と提案している(対談「「障害者+健常者運動」最前線」、「現代思想」2017年5月号)。

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