2022.02.18
# 映画 # ドライブ・マイ・カー

『ドライブ・マイ・カー』が「自分の傷つきに気づきにくい男性」に与えてくれる“大切なヒント”

杉田 俊介 プロフィール

それから2年。家福は喪失感を抱えたまま、愛車の赤いサーブ900ターボを運転し、広島の演劇祭にチェーホフの『ワーニャ伯父さん』の演出家として参加していた。

愛車の中には、亡き妻が録音した『ワーニャ伯父さん』の朗読の声だけが響いている。死者との思い出に満ちた親密な空間。それは妻の死のあと、グリーフケア(死別の悲しみなどを受け入れたり、そこから立ち直ったりするためのケア)ができず、外の世界に心を閉ざすしかなかった家福の内面を象徴するものでもあるだろう。

ところが、演劇祭の主宰側から、事故防止などの理由で、専属ドライバーの運転で通勤してほしい、と要請される。信頼できるドライバーとして紹介されたのは、みさき(三浦透子)というヘビースモーカーで不愛想な若い女性である。彼女の運転の実力は確かであり、家福はしぶしぶ彼女を運転手として認める。

物語の終盤、みさきの側にも心の傷があった事実が判明する。彼女は母親からたびたび暴力を振るわれたのだという。そして5年前、北海道を襲った地震によって彼女の実家は倒壊し、その時にみさきは母親を見殺しにしてしまった。

お互いにトラウマ的な傷を語り合い、弱さをシェアすることによって、二人の関係は――恋愛関係や疑似親子(父娘)的な関係ではなく――対等で親密な、ケア的な関係になっていく。家福の「僕は正しく傷つくべきだった」という言葉は、3時間近くに及ぶ長い映画の最後に、絞り出されるようにして、みさきという他者の前で、ようやく、語りうるものとなったのである。

 

三つの男性性

男性学的に言えば、『ドライブ・マイ・カー』には、三つの次元の男性性があると言える。まずは、依然として多くの多数派の男性たちがとらわれている、家父長的でマッチョな男性性(1)。家福はもともとそのようなタイプの男性ではなく、仕事も家事もシェアし、妻に気配りのできる優しくリベラルな男性(2)として生きてきた。

しかし、そのままでは、何かが足りなかったようだ。妻の死後に、家福は(2)の段階を踏み越えて、「自分の痛みや傷について他者とコミュニケーションし、弱さを他者とシェアできる男性」(3)へと自分を変えていかねばならなかったのである。

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