2022.02.18
# ドライブ・マイ・カー # 映画

『ドライブ・マイ・カー』が「自分の傷つきに気づきにくい男性」に与えてくれる“大切なヒント”

濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』が米アカデミー賞の作品賞など4部門にノミネートされた。日本映画が作品賞にノミネートされるのは初めてのことだ。

同作の一つの特徴は「男性性」を繊細に描いている点にある。男性性について研究する「男性学」や、男性性の解放を考える「メンズリブ」の視点からは、同作がどう見えるのか。『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』(集英社新書)などの著書がある批評家の杉田俊介氏が読み解く。

(※本稿は『ドライブ・マイ・カー』の物語の展開の重要な部分に触れているところがあります)

男性にかけられた呪い?

――僕は、正しく傷つくべきだった。

濱口竜介監督の映画『ドライブ・マイ・カー』(2021年)は、村上春樹の短編集『女のいない男たち』(2014年)所収の「ドライブ・マイ・カー」を原作とし(他にも同短編集の「シェエラザード」「木野」を題材として取り込んでいる)、濱口監督が自由に翻案した作品である。

「ドライブ・マイ・カー」ティザービジュアル
 

「僕は、正しく傷つくべきだった」とは、主人公の中年男性がラスト近くで口にする言葉であり、男性にとってのセルフケアの重要性を示す言葉としても注目された。ライターの西森路代は、この作品を「むやみに泣いてはいけないとか、弱音をはいてはいけないとか、人に頼ってはいけないとか、何をするにも自分が主体でなくてはいけないとかという、男性に課せられた規範や呪い」から、主人公の中年男性が解き放たれていく物語として読み解いている(「映画『ドライブ・マイ・カー』で描かれる、「正しく傷つく」までの物語」)。

主人公の家福かふく(西島秀俊)は、演出家・舞台俳優である。テレビドラマの脚本家である妻のおと(霧島れいか)と裕福で幸福な生活を送っている。妻はセックスの最中に、憑依状態のように不思議な物語を語り、家福がそれを記憶し、妻がそれをもとに脚本を書く、という共同作業を続けてきた。

しかし妻には秘密があった。家福以外の複数の男性たちと寝ていたのである。しかし家福は、その事実を知りながら、妻を問いただしたり、話し合ったりすることができないままできた。仕事も家事も分担し、優しく、気遣いのできる夫であり続けてきた。そしておそらく今後について、やっと話し合いの場が持たれようとした直前、妻の音は突然、くも膜下出血で死去する。

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